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安ヶ森峠  (再掲)
  やすがもりとうげ  (峠と旅 No.047-2)
  福島・栃木の県境に連なる帝釈山地を越えた林道の峠道
  (掲載 2026. 4. 7  最終峠走行 2001.10.21)

   
安ヶ森峠 (初掲載 1998. 2)
   
   
   
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安ヶ森峠 (撮影 1992. 9.15)
手前が栃木県旧塩谷郡栗山村大字湯西川(現日光市湯西川)
奥が福島県南会津郡旧舘岩村大字湯ノ花(現南会津町湯ノ花)
道は林道安ヶ森線
(舘岩村側は村道鱒沢線、栗山村側の一部は一級林道ウツルギ沢線)
峠の標高は約1,160m (地理院地図の等高線より)

これは34年前の峠の様子
この時、峠前後はまだ未舗装の林道で、
林に囲まれて見通しの悪い峠だった
この9年後に訪れてみると、
栗山村側は全線舗装され、峠も明るく変貌していた

   
   
   

   

<掲載動機(余談)>
 前回は土呂部峠を掲載し、その折、この安ヶ森峠の入口について触れた。 この峠は1998年2月に「今月の峠」として既に掲載してあったが、その後の2001年10月に再び訪れている。そこで、その時の様子を詳しく掲載したいと思いつつ、四半世紀が過ぎてしまっていた。 土呂部峠とも関係がある峠なので、今回どうにか再掲載に手を付けようと思う。

   

<「今月の峠」(全くの余談)>
 ホームページ「峠と旅」の掲載開始は1997年6月20日だが、その年の12月より「今月の峠」を始めた。折角開設したホームページなので、なるべく頻繁に更新しようと思った。しかし、会社の残業は多いし、旅にも出たい。 そこで、ちょっとした峠を簡潔でいいから月に一度は必ず掲載することを自分に課したのだった。そして1998年2月の「今月の峠」がこの安ヶ森峠になった。
 
 「今月の峠」に選ぶくらいだから、当時は安ヶ森峠は自分にとって「ちょっとした峠」でしかなかった。未舗装林道の峠道だったが、それ程険しい訳ではない。道程も短く、あっと言う間に越えてしまったという印象だった。
 
 当時はとにかく我武者羅にジムニーを走らせていた。最初に安ヶ森峠を越えた日は、山形・福島県境の大峠の山形県側旧道脇で野宿の朝を迎えた。 そこから大峠トンネルで福島県、福島県を縦断して安ヶ森峠で栃木県栗山村、土呂部峠から馬坂林道で川俣温泉、山王峠で日光、金精峠で群馬県、そこから関東平野を縦断して東京の自宅まで走り通した。大きな峠を幾つも越えているので、安ヶ森峠などは物の数ではなかった。
 
 しかし、時が経つに連れ、なかなかいい峠道だったと思うようになった。「今月の峠」では如何にももったいない。2年前に湯西川温泉に泊まった折り、安ヶ森ロッジ(安らぎの森)まで行ってみた。 最近の峠はもう車などでは越えられなくなっているようだった。かつての峠道の様子をここに残しておくのも、少しは価値があるかと思う。
 
 尚、「今月の峠」は2002年2月をもって終了した。合計51峠を掲載した。その後、ホームページの更新は滞るようになる。一時は気力を失い、休眠状態ともなったが、どうにか復活して現在に至る。

   

<所在>
 峠は福島県と栃木県の県境になる。峠道は概ね南北方向に通じ、北は福島県南会津郡(みなみあいづぐん)南会津町(みなみあいづまち)湯ノ花(ゆのはな)で、以前は同郡舘岩村(たていわむら)大字湯ノ花だった。 私は「舘岩村」の方が聞き覚えがある。南会津町は2006年に田島町・伊南村(いなむら)・南郷村・舘岩村の4町村が合併して誕生したそうだ。
 
 峠の南側は栃木県日光市(にっこうし)湯西川(ゆにしがわ)で、旧塩谷郡(しおやぐん)栗山村(くりやまむら)大字湯西川になる。こちらもやはり「栗山村」の方が馴染みがある。新しい日光市も2006年に日光市、今市市、藤原町、足尾町、栗山村の2市2町1村の合併により誕生したそうだ。
 
 南会津町だとか日光市ではあまりに範囲が広いので、ここでは旧村名の舘岩村と栗山村をそのまま使わせてもらう。

   

<地理院地図(参考)>
 国土地理院地理院地図 にリンクします。


   
本ページでは地理院地図上での地点を適宜リンクで示してあります。
   

<水系>
 安ヶ森峠は県境というだけでなく、中央分水嶺に位置する。北側は日本海に注ぐ阿賀野川(あがのがわ)水系、南側は太平洋側の利根川水系だ。以下に川の流れを示す。
 
●北側
 峠ノ沢→鱒沢川→舘岩川(たていわがわ)→伊南川(いながわ)→只見川→阿賀川→阿賀野川
●南側
 ユナゴ沢→ウツルギ沢→湯西川→男鹿川(おじかがわ)→鬼怒川(きぬがわ)→利根川

   

<峠道の領域>
 水域から見た場合、舘岩川の上流部には中山峠(地理院地図)・中山トンネル(地理院地図)が通じる。よって、安ヶ森峠は鱒沢川水域がその峠道の領域と言える。尚、中山峠は今はもう通れないようだ。こちらももう一度詳しく掲載してみたい峠である。
 
 湯西川の上流部には前回掲載した土呂部峠が位置する。よって、ウツルギ沢水域が峠道の範疇と言える。

   

<立地>
 安ヶ森峠前後の福島・栃木県境は、大体が帝釈山地(たいしゃくさんち、帝釈山脈とも)の主脈上にある。この山地は北東の男鹿岳(1,777m、地理院地図)付近に始まり、南西の四郎岳(2,156m、地理院地図)付近にまで至る。距離で60Km程になろうか。その山地の中央近くには帝釈山(2,060m、地理院地図)がそびえる。安ヶ森峠は帝釈山地のやや東寄りに位置する。

   

<舘岩村>
 現在は旧田島町を含めた南会津町の一部になっているが、元の舘岩村は舘岩川源流の東・南・北の三方を山で囲まれた村だった。東西方向に国道352号が通じるものの、東隣の田島町に出るには標高1,150mの中山峠を越える必要があった。 現在は中山トンネルが通じているが、それでも1,000m近い峠だ。また、舘岩川沿いに西へと国道を下って本流の伊南川(いながわ)沿いに出ても、そこには遥々新潟県方面から枝折峠を越えて来た道に合流するだけである。どこを見回しても都会はない。
 
<舘岩村にとっての峠道>
 その点、他県とは言え、舘岩村から安ヶ森峠を越え、更に湯西川沿いに下れば国道121号に出る。その国道を南に下れば川治や鬼怒川という大温泉地を通り、行く行くは旧今市市や日光市という大都市に至る。直接中山峠を越えても国道121号に出られるが、日光方面に向かうには更に山王峠(地理院地図)を越えなければならない。通常2度の峠越えを、安ヶ森峠は1度の峠越えで済ませられる峠道だった。

   

<峠名>
 峠の近くに安ヶ森山(1,353.8m、地理院地図)がある。 この「安ヶ森」は普通に「やすがもり」と読むようだ。この山名が峠名の由来になるのだろうか。
 
 あるいは、峠の栗山村側麓に安ヶ森ロッジ(現交流センター)があったが、栗山村側のこの付近の地を「安ヶ森」と呼んだのかもしれない。舘岩村にとって、より繁華な地に出られる安ヶ森峠は重要である。 舘岩村から見て「安ヶ森へと越える峠」として、安ヶ森峠と呼んだように思う。ただ、安ヶ森山は今は同じ日光市だが、以前は東隣の藤原町側にあった。「安ヶ森」と呼ばれる地は、栗山村と藤原町に跨っているのかもしれない。
 
<「ヶ」と「ケ」(余談)>
 尚、「安ケ森」と大文字の「ケ」を使ってもいいのだが、ここでは小文字の「ヶ」を使う。こちらの方が何となく見栄えがいいように思うのだ。ただ、文献(角川日本地名大辞典)では「安ケ森」で検索しないとヒットしないので困る。
 
<鱒沢峠>
 一方、栗山村側から見ると、鱒沢川沿いへと下るので、鱒沢峠などという呼び名もあるようだ。「鱒」の字は古くは「升」などとも書かれたそうだ。

   

<帝釈山地の峠(余談)>
 いつものことながら、関係ある峠を列記してみた(鉄路を除く)。
●山王峠・山王トンネル/国道121号
●安ヶ森峠(本峠)/安ヶ森林道
●枯木越・枯木峠/車道未開通
田代山峠地理院地図)/県道栗山舘岩線(旧田代山林道)
帝釈山峠(仮称?、地理院地図)/川俣檜枝岐林道
●奥鬼怒トンネル(地理院地図)/奥鬼怒スーパー林道
 
 一般車両通行禁止の
奥 鬼怒トンネルを除くと、車道が通じる峠は4本となる。田代山峠や帝釈山峠は一般の地図にその名はない。比較的新しく林道が通じた峠で、ツーリングマップ (ル)には途中から峠名が記載さるようになった。帝釈山峠は私が仮称として使っていたが、その後ツーリングマップルに載っていたのを見て驚いた。

   

<峠道の役割>
 その点、山王峠と安ヶ森峠はどんな地図にも載っている。多分、どちらも車道開削前から何らかの峠道が存在していたのだろう。ただ、山王峠は会津地方と日光方面を結ぶ大幹線路であり、そちらの重要性は合点が行く。 一方、安ヶ森峠の方は今一つその利用価値が分からない。多分、舘岩村と栗山村のお隣同士を最短で結ぶ峠として、もっぱら地元の生活路と活用されていたのではないだろうか。また、時には舘岩村側から今市・日光方面に向かう時に歩かれたかもしれない。

   

<枯木越・枯木峠>
 文献(角川日本地名大辞典や日本歴史地名大系)を読んでいると、枯木(かれき)越または枯木峠という峠が出て来る。舘岩村の水引(みずひき、地理院地図)から登って枯木山(1,755.5m、地理院地図)の鞍部で帝釈山地を越え、湯西川の高手原に下り、遠く今市にまで向かったという。正確には枯木山の山頂は主脈上にないので、峠の正確な位置は分からない。多分、湯西川源流のアサズマ沢(悪至沢とか悪志沢などとも)の源頭部(地理院地図)辺りだろうか。また、高手原とは湯西川の字高手(たかで)付近にある平坦地のことか(地理院地図)。
 
 枯木越は江戸期には岩代(いわしろ)国と下野(しもつけ)国との国境であった。岩代側の舘岩村付近の地域を立岩郷(たていわごう)と称した。枯木越は立岩郷から下野に至る最も近い通路だったそうだ。ただ、国境ともなると、その通行はある程度規制されたのではないだろうか。人の往来だけでなく、物資の輸送も監視されたかと想像する。
 
 また、関東へは中山峠と山王峠の2峠を越える代わりの代替峠峠として利用されたとのこと。ただ、安ヶ森峠に比べると枯木越はやや湯西川上流部に位置する。 今市に向かうには高手から湯西川沿いに長々下るより、上流部の土呂部峠を越えて日蔭に下り、更に大笹越えのルートを採った方が距離は短いように思う。但し、峠越えが続く。
 
 馬と牛では馬の方が峠道の踏破性は上だったようだが、枯木越は馬でも通れない険しさだったとのこと。それが明治末期になって新道の万歳峠が開削され、牛馬で木材が運ばれたそうだ。 その後、昭和48年(1973年)に通じた田代山林道に取って代わられた。現在の地理院地図には枯木越も万歳峠についても、登山道程度の道としてさえ描かれていない。

   
   
   

栗山村から峠へ

   

<ここから本文>
 いつもの様に長い前置きだった。安ヶ森峠へは、1992年9月に舘岩村側から、2001年10月に栗山村側から越えた。ここでは栗山村側から峠を目指す。

   
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右に安ヶ森林道が分岐 (撮影 2001.10.21)
黒部西川線を湯西川温泉方向に見る

<県道からの分岐>
 峠道は湯西川沿いに通じる県道249号・黒部西川線から分岐する(地理院地図)。地点は旧栗山村の大字湯西川字湯平(ゆだいら)になる。ここは県道が最も北に張り出した部分で、福島県との県境に近い。峠道としては好都合の起点だ。
 
 温泉で知られる湯西川は大きく下湯西川と上湯西川に分かれる。温泉の中心地になるこの湯平より上流側が上湯西川と呼ばれる。分岐は下湯西川との境付近に位置する。多分、新道の高房(たかふさ)トンネル(地理院地図)、旧道の赤倉橋(地理院地図)付近が字湯平と下湯西川の字川戸(かわど)との境ではないだろうか。
 
 私が訪れるようになった頃は、まだ新道ができる前だったが、分岐付近の県道は既に2車線幅のあるいい道になっていた。しかし、赤倉橋より下流側は湯西川渓谷などと呼ばれる狭い谷沿いに細々と県道が通じていた。 最近は湯西川ダムの建設に伴い大幅に道が付け替えられた。五十里湖方面からこの分岐までのアクセスも格段に容易になった。

   

<分岐の様子>
 以前は分岐の峠方向に向けて、「安ヶ森ロッジ・キャンプ場」などと案内看板が立っていた。最近もあるようだが、「ロッジ」ではなく「安らぎの森」というキャッチフレーズの方が多用されているようだ。「安ヶ森」をもじって「安らぎの森」としているのだろう。

   
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分岐に立つ以前の看板 (撮影 2001.10.21)

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分岐の様子 (撮影 2001.10.21)
右が峠方向

   
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県道側から見る峠道 (撮影 2001.10.21)

   

<移木橋>
 道は直ぐに湯西川を移木橋で渡る。これから峠道が沿う川は「ウツルギ沢」である。「移木沢」と書くこともあるようだ。「ウツルギ」には何か他に由来があるような気がする。 「移木」は後世の単なる当て字で、それ自体に意味があるようには思えない。移木橋は思いの外幅広の橋だ。この峠道の中では一番広い道だろう。

   
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道路脇に立っていた看板 (撮影 2001.10.21)
以前も「安らぎの森」という言葉はあったようだ
この看板はもうない

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移木橋を渡る (撮影 2024.10.17)
2年前の様子

   

<紅葉(余談)>
 2001年に訪れた時は東北の紅葉でも楽しもうと思ってやって来た。紅葉の名所は人や車で混むが、安ヶ森峠などの寂しい道は訪れる一般者は少ない。それでいてなかなかの紅葉美を堪能できる。常々辺鄙な峠道は紅葉の穴場だと思っている。

   
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移木橋より湯西川上流方向を望む (撮影 2001.10.21)
こうして安ヶ森峠の道沿いでは、まあまあの紅葉が楽しめた
奥にかつてあった有名なホテルが立つ

   

<安ヶ森林道起点>
 橋の袂には、通常橋名や川名などが書かれた銘板が掛かるが、移木橋には道路名も出ていた。「安ヶ森林道」とあった。安ヶ森峠を越える林道が安ヶ森林道で、至極ごもっともな話しである。
 
 しかし、それがまたちょっと曲者なのだ。県道から分かれた直後の移木橋が安ヶ森林道の起点であることは、これで確かである。しかし、同じ安ヶ森林道といっても、その道路名が示す区間が違ったりする。また、別の道路名もいろいろ存在する(後述)。

   
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移木橋の袂 (撮影 2024.10.17)

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「安ヶ森林道」とある (撮影 2024.10.17)
ここが起点だと思うが、そうでもないのだ

   

<安ヶ森林道へ>
 安ヶ森林道を進む。直ぐに一軒ほど人家らしき建物が見られるが、それ以降、栗山村側に集落は存在しない。
 
<一級村道・ウツルギ沢線>
 移木橋から150mくらい行くと道路情報の看板が立ち、「一級村道・ウツルギ沢線」と出ていた(地理院地図)。その名からして、このウツルギ沢沿いの道を指すことになる。安ヶ森林道を走り始めたばかりなのに、早速混乱させられる。また、今は日光市になっているので、「村道」ではなく「市道」であろう。

   
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道路情報看板が立つ (撮影 2001.10.21)
右手には小屋が並ぶ

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左の写真と同じ場所 (撮影 2024.10.17)
建物は新しい倉庫になっていた

   
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道路情報の看板 (撮影 2001.10.21)

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左の写真と同じ看板 (撮影 2024.10.17)
この時はもう日光市になっているのだが

   

<「安らぎの森」への道>
 右手に並ぶ倉庫の先に新しく「安らぎの森」の案内看板が立っていた。「2Km先 徒歩30分」とある。歩くことも想定している看板だ。

   
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案内看板が立つ (撮影 2024.10.17)

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「安らぎの森」の案内看板 (撮影 2024.10.17)
右手は電話ボックス?
但し中に電話はない

   

<東屋>
 この林道は「安らぎの森」までの散策路としても整備されているようだ。ウツルギ沢右岸沿いに少し行くと、沿道に東屋が建っていた(地理院地図)。ウツルギ沢の谷を眺めながら一休みする場所として設けられたのだろう。ウツルギ沢が屈曲する地点で、紅葉の季節などは景色がいいものと思う。

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右手に東屋がある (撮影 2024.10.17)

   

<山の神橋>
 道は山の神橋で左岸に移る(地理院地図)。この地点から西に延びる湯西川・木ノ沢の分水界の尾根は「山の神の峰」と呼ばれるようだ。左岸沿いになり、今度は左手に東屋が建つ(地理院地図)。

   
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山の神橋を渡る (撮影 2024.10.17)

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今度は左手に東屋 (撮影 2024.10.17)

   
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沿道の様子 (撮影 2024.10.17)
下の写真と比較

<仲石橋>
 その後、仲石橋でまた右岸に戻る(地理院地図)。 橋を渡った先で左に木ノ沢左岸沿いに遡る林道木ノ線が分岐するが、通行止のようだった。
 
 
<沿道からの眺め>
 ウツルギ沢の谷は細かく屈曲しながら続く。新しく東屋などが建って整備は続けられている様子だが、沿道の木々はお構いになしに成長している。 昔の写真と比べると、やはり視界は狭くなったように感じる(地理院地図)。 栗山村側の舗装化が終わったばかりの頃で、路面状態も現在より良かったように思う。

   
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上の写真と同じ場所 (撮影 2001.10.21)
この時はもっと開けた雰囲気で、道の状態も良かった
正面に見える山は948mの小山(地理院地図

   
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左奥に東屋 (撮影 2024.10.17)

<支流>
 また左に東屋を見る(地理院地図)。支流を渡る橋の奥にある。その支流沿いにも道がありそうだ。
 
 ウツルギ沢にはこうした支流が多く、その水域は広そうだ。この地形が安ヶ森の特徴であろうか。ウツルギ沢水域全域を「安ヶ森」と言い慣わした様に思える。支流沿いにも枝道を切り開き、山の恵みを活用したのではないだろうか。
 
 道は高橋(たかはし)で再度左岸に渡る(地理院地図)。道は直線的に延びるが、川の方が蛇行している。

   

<保安林の看板>
 また、この林道沿いには水源かん養保安林の看板が所々に立っている。山を大切にしている証だ。何かの参考になるかと看板を覗いてみるが、地図は湯西川水域全体に及び、あまり細かな情報は得られなかった。「安らぎの森」の代わりに「安ヶ森レクリェーションパーク」と命名されていた。

   
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保安林の看板 (撮影 2024.10.17)
地理院地図

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保安林の看板 (撮影 2024.10.17)

   
   
   

安らぎの森

   

<安らぎの森>
 道が再び左岸に戻った先で、目の前に「安らぎの森」関連の施設が広がる(地理院地図)。そこで道は二手に分かれていて、峠へは右を行く。この施設は最初に訪れた頃からあったと記憶するが、整備は増々進んだように思う。

   
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「安らぎの森」に到着 (撮影 2024.10.17)
左はキャンプ場などへ、右は峠方向

   

<施設の看板>
 分岐の二又の角に施設に関するいろいろな案内看板が並ぶ。ただ、私が欲しいような記載はあまりなかった。
 
<沢の名>
 本線から左に分かれる道は、支流のヌーグラ沢沿いに遡るヌーグラ沢林道(林道ヌーグラ沢支線とも)か、あるいは白滝沢沿いの白滝沢林道になるようだ。看板の地図からは、ヌーグラ沢と白滝沢のどちらが本流だか分からないので、判別が付かない。
 
 また、ウツルギ沢の文字はこの施設を過ぎた先まで載っている。地理院地図などではウツルギ沢の範囲が特定できないが、やはり峠直から下るユナゴ沢直前までをウツルギ沢と呼ぶものと思う。
 
 「安らぎの森」はウツルギ沢とヌーグラ沢・白滝沢の合流点にあり、一帯に平坦地が広がる地点だ。 

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分岐正面に立つ看板 (撮影 2024.10.17)
道標には、左は「駐車場・キャンプ場」
右は「福島県 舘岩村」とある

   
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森林基金の森(安ヶ森)の看板 (撮影 2024.10.17)

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湯西川保全林案内図の看板 (撮影 2024.10.17)

   
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周辺案内図の看板など (撮影 2024.10.17)

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周辺案内図の看板 (撮影 2024.10.17)

   
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分岐より峠方向を見る (撮影 2024.10.17)
左手に「集いの広場」、右手に交流センター

<峠方向を見る>
 分岐から峠方向を見ると、左手に「集いの広場」が広がる。右手には「自然体験 交流センター やすらぎの森 四季」の建屋がある。以前はそこを「安ヶ森ロッジ」と呼んでいた筈だ。
 
 ここには自由に使える広場や散策路もあり、のんびり過ごすにはいい場所だ。あまりお金も掛からない。ただ、今回(2024年)は時間がないので、利用することはなかった。
 

   
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集いの広場の様子 (撮影 2024.10.17)

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交流センター (撮影 2024.10.17)
以前の安ヶ森ロッジ

   

<ヌーグラ沢・白滝林道方向>
 分岐を左のヌーグラ沢・白滝林道方向に進むと、まずは駐車場がある。無料のようだ。その先はキャンプ場施設があるようで、利用者以外は立入禁止となっていた。
 
 野宿旅をしていた頃は、ここにキャンプ場があることは認識していた。しかし、こうした整った場所で野宿するのは、少し抵抗を感じていた。誰にも遠慮せず、自由に振る舞いたいのだ。 この栗山村では温泉宿にヌクヌクと泊まったことはあっても、野宿の経験はなかった。ただ、これから越える舘山村では中山峠の途中から分岐する道の先で野宿したことがあった(地理院地図)。ただ、もう何の記憶も残らない。

   
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ヌーグラ沢・白滝林道方向を見る (撮影 2024.10.17)

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駐車場の先 (撮影 2024.10.17)
利用者以外立入禁止

   
   
   

「安らぎの森」以降

   

<「安らぎの森」以降>
 旧ロッジ前を過ぎて峠方向に進んでも、暫く施設の一部として整った道が続く。穏やかな雰囲気だ。峠からこちら側に下って来ると、「安らぎの森」はほっとする場所になる。

   
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旧安ヶ森ロッジ前の少し先 (撮影 2024.10.17)
今回はここまでで引き返し

   

<道程>
 移木橋の起点から「安らぎの森」付近までは2Kmちょっとである。地図で見ると、峠までの1/3くらいまで山間部に入り込んでいそうに見える。しかし、この先の道に屈曲が多い。道程は起点から峠まで9Km以上あり、残り7Km近い。
 
 ちなみに、峠から舘岩村側の道は、国道352号に接続するまで16.8Kmとなる(後述)。峠道合計では約26Kmと見込める。ちょっとした峠だと思っていたが、そこそこの距離があった。

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「安らぎの森」の北端 (撮影 2001.10.21)
地理院地図
これから峠に向かう

   

<ユナゴ沢沿いへ>
 右手に流れるウツルギ沢の谷は、まだ暫くちょっとした広さを維持し、沿道は開けた雰囲気だ。道が左に大きくカーブする辺りは、一段と谷は広い(地理院地図)。ここで峠から流れ下るユナゴ沢と、他に七曲沢、ケイタ沢が合流し、ウツルギ沢となるようだ。
 
<林道看板>
 ユナゴ沢沿いになって間もなく、林道看板(標識)が出て来た(地理院地図)。

   
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林道看板が立つ (撮影 2001.10.21)

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林道看板の箇所を移木橋方向に見る (撮影 2001.10.21)

   
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林道看板 (撮影 2001.10.21)
「安」の文字が隠れている

<林道安ヶ森線起点>
 それには「林道 安ヶ森線 起点」とあった。比較的新しい看板に見えた。普通、「何々林道」と「林道何々線」とはほぼ同じものと思っていた。「林道何々線」の方が正式な名称だろう程度の認識である。ところがそうではなさそうだ。 「安ヶ森林道」の起点は移木橋だった筈だが、ここにまた「林道安ヶ森線」の起点が出て来た訳だ。
 
 ここまでを整理すると、ウツルギ沢沿いは一級村道ウツルギ沢線、ユナゴ沢沿いになると林道安ヶ森線ということになる。
 
 移木橋の銘板の「安ヶ森林道」は謎として残るが、複雑な道路名の変遷があったのだろう。

   

<「森林基金の森」の看板>
 林道看板の直ぐ先に「『森林基金の森』のご案内」という看板がある。向きは峠から下って来た側から見る様に立っていた。この看板より下流側に「森林基金の森」が広がることになる。その地域には周遊歩道などが設けられているらしい。
 
 尚、この看板ではロッジ手前で分岐する道を白滝沢林道としていた。白滝沢の方がヌーグラ沢の本流ということらしい。また、先程「一級村道・ウツルギ沢線」だといった道には、今度は「村道安ヶ森線」と書かれていた。どうも一筋縄ではいかない。

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「森林基金の森」の看板 (撮影 2001.10.21)

   
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「森林基金の森」の看板の地図 (撮影 2001.10.21)
地図は下が北
周辺には歩道が通じる
「安ヶ森ロッジ」とあるので、これは古い看板

   
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沿道の紅葉 (撮影 2001.10.21)

<ユナゴ沢沿い>
 林道看板を過ぎると、ユナゴ沢の谷は一気に狭まり、視界の広がらない暗い川沿いの道となる。最近はこの辺りから先が通行止となっているようだ。私も二度しか走ったことはない。
 
<川名>
 それにしても、ウツルギとかヌーグラ、ユナゴ、ケイタなど、何を意味するのか分からない川の名が多い。本来は何かしらの意味を持っていたのだろうが、もう知る者は少ないことだろう。
 
<ウツルギ沢源流>
 白滝沢もヌーグラ沢もユナゴ沢も、皆福島県との県境に源を発する。どれも同じような流長があり、どれがウツルギ沢本流の源流か判別し難い。ただ、ユナゴ沢はウツルギ沢の最も奥にある支流なので、ユナゴ沢が源流である可能性が高い。
 
 少なくともユナゴ沢の源頭部に安ヶ森峠が位置する。ウツルギ沢とユナゴ沢の二本が、この峠道に関係する川である。
 
<屈曲区間へ>
 右岸沿いにユナゴ沢を詰めると(地理院地図)、今度は左岸側の尾根を登り始める。ここから暫く屈曲区間が続く。高度を上げて、紅葉も見事だ(左の写真)。 

   

<芹沢水域との分水界>
 道は湯西川水域と男鹿川支流・芹沢(せりざわ)水域との分水界の尾根に取り付く(地理院地図)。 取り付くだけでなく、若干だが尾根を越えて芹沢側を450m程通る。現在、この付近は全て日光市になっていて町村境の線が引かれていないが、以前は栗山村と藤原町との町村境であった。 道は旧藤原町の大字芹沢(せりざわ)の地に足を踏み入れていて、その点が何となく奇異に思える峠道だった。これも車道開削の都合であろう。元の峠道はユナゴ沢の先の谷間をそのまま峠へと登っていたのではないだろうか(後述)。
 
 道が芹沢側に入ると景色が一変し、芹沢上流部の谷が見渡せるようになる(下の写真)。安ヶ森峠の峠道では全般に眺望に恵まれないが、この分水界の尾根上区間はやや見晴しがいい。

   
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藤原町側の景色(1/2) (撮影 2001.10.21)

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藤原町側の景色(2/2) (撮影 2001.10.21)

   

<峠直前>
 道は分水界の稜線上近くのやや栗山村側を峠を目指して進む。大きな屈曲はなくなり、左手にユナゴ沢のやや深い谷を臨みながらほぼ直線的に北の県境の峰を目指す。

   
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峠の峰が迫って来た (撮影 2001.10.21)

   

<舗装路>
 以前の峠道は、「林道安ヶ森線起点」の看板以降はずっと未舗装だったように記憶する。ところが2001年に訪れてみると、立派な舗装路に生まれ変わっていた。道幅も十分である。ガードレールも完備だ。それは峠まで続いた。 大きく変わるもんだと感心した。
 
 1997年11月に安ヶ森峠を訪れた方の話では、丁度栗山村側で改修工事を行っている真っ最中だったとのこと。そこはどうにか通っても、舘岩村側でも通行止があり、結局引き返したそうだ。 私は偶然にもその工事の後に訪れた訳である。
 
 しかし、最近はこの峠道の多くの区間が再び通行止になっているらしい。折角の舗装路も、今では無駄になってしまったのかと残念である。

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峠直前の様子 (撮影 2001.10.21)
手前が峠方向
立派な舗装路が峠まで続いていた

   
   
   

   

<峠の様子>
 栗山村側の道路改修は峠の様相も変えていた。沿道の木々が切り払われ、見通しのいい峠になっていた。

   
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栗山村側から見た安ヶ森峠 (撮影 2001.10.21)
この先の稜線上で道は右に急カーブしている

   

<以前の峠>
 改修前は林に囲まれた暗い切り通しの峠だった。稜線上で道は急カーブし、狭苦しい峠だなという印象だった。眺望はなく、峠自身にはあまり魅力は感じられなかった。

   
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上の写真と同じ場所(再掲) (撮影 1992. 9.15)

   

 道路改修後は、峠からの遠望はあまりないものの、開けたて気分がいい峠になっていた。

   
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峠より栗山村側を見る(1/2) (撮影 2001.10.21)
ジムニーの脇に黄色い看板が立つ
「ゆっくり走ろう 林道 安ヶ森線 
 まわりの森や林は 小鳥たちのすみかです。 栃木県」
とある

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峠より栗山村側を見る(2/2) (撮影 2001.10.21)
奥にジムニーが停まる

   

<峠の標高など>
 峠の小さな切り通しで路面の舗装はプッツリ途切れていた。そこが栗山村と舘岩村の境ということだろう。律儀なことだ。この峠の標高は、ツーリングマップルに1,160mと出ていた。現在の地理院地図の等高線でも1,160mをちょっと超えた辺りと読める。
 
<旧峠の存在?>
 尚、文献(日本歴史地名大系)では峠の標高を1,230mと、異なる値を示していた。これを単に古いデータだと割り切るにはちょっと抵抗がある。同文献では湯西川と舘山村を結ぶ村道が整備されているとはあるが、開通したとは言っていない。もしかすると1,230mとは車道が通じる前の古い峠・旧峠の標高かもしれない。
 
 ただ、現在の車道の峠は定石通り稜線上の最も低い鞍部に通じる。車道の開削程度で70mも標高は変わらない。可能性として、元の峠道はユナゴ沢や舘岩村側の峠ノ沢などの川筋ではなく、芹沢水域などとの分水界の尾根筋を通って、主脈に至っていたかもしれない。一部は現在の車道のルートに近いことになる。
 
<1,250mのピーク>
 峠から稜線上を東に200m余り行った所に、1,250mを超えるピークがある(地理院地図)。そこより南に芹沢水域との分水界の尾根が延びている。旧峠がそのピークの直ぐ西側の肩にあったとすれば、標高1,230mは辻褄が合う。詳しくは分からないが、ネット上でもかつての安ヶ森峠の道は芹沢境に通じていたそうだ。
 
 以上から、現在の車道の峠とそれ以前の昔の安ヶ森峠は、場所が異なるということになる。しかし、あくまでも推測の域を脱しない。

   
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栗山村側から見た峠 (撮影 2001.10.21)
舗装が途切れている
白い看板は何かの注意事項が列記されていた

   

<峠の舘岩村側>
 路面は以前の未舗装のままだが、峠の舘岩村側でも沿道の木々が切り払われていたようだ。峠全体に空が開けた空間になっていた。

   
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舘岩村側から見た安ヶ森峠 (撮影 2001.10.21)
右手の石積みの上に石碑が立つ

   

<舘岩村村道の看板>
 切り通し部分に看板が立ち、「舘岩村村道 鱒沢線 延長 16.8Km」とあった。「鱒」の字がちょっと違うが、フォントがない。

   
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舘岩村村道の看板 (撮影 2001.10.21)

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鱒沢線とある (撮影 2001.10.21)

   

<鱒沢線>
 この看板からすると、舘岩村側では村道の鱒沢線と呼ぶのが正式のようだ。「村道」が付く前に単純に「鱒沢林道」などとも呼ばれていたかもしれない。
 
 一方、林道安ヶ森線とか村道安ヶ森線の名は、栗山村側だけで使われる道路名ということになる。ただ、一般の道路地図で単に「安ヶ森林道」と掲載があった場合、峠道全線を指すことが多い。

   

<道程>
 村道鱒沢線の起点を示す看板が、国道352号に接続する直前にある(後述)。看板が示す「延長16.8Km」とは、峠からそこまでの距離だろう。栗山村側が9Km余りで、圧倒的に舘岩村側の方が長い。合計約26Kmと計算される。
 
<所要時間(余談)>
 ちなみに私のジムニーの走行時間は、栗山村側で30分、舘岩村側で1時間10分だった。栗山村側では平均時速20Kmくらいだが、これでも舗装路での話しである。未舗装区間が多い舘岩村側では平均時速15Kmに満たない。 ただ、これは途中でちょっと立ち止まり、景色を眺めたり写真を撮ったりする時間を含む。それとは別に、峠ではあちこち歩き回っては何枚も写真に撮る。結局、安ヶ森峠一つ越えるのに1時間45分以上費やしていた。 意外とのんびりした旅であった。最初に訪れた時は、峠で写真一枚撮っただけで、ただただ突っ走っていた。

   

<記念碑>
 安ヶ森峠で嬉しいのは林道開削記念の石碑が立っていることだ。峠の切り通しの西側に、東を向いてドンと立っている。この峠について、いろいろ知ることができるだろう。 ところが、石積みの擁壁の上にそびえているので、碑文を撮ろうとしたがうまく行かなかった。結局、石碑の上半分しか写ってなかった。石碑の表題は難しい書体だが、「林道安ヶ森線開削記念」とあるようだ。

   
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林道安ヶ森線開鑿記念の碑 (撮影 2001.10.21)

   

<林道開通年など>
 碑文の一部しか分からないが、どうやらこの林道は福島・栃木両県の助力により建設されたもので、当初は全線を林道安ヶ森線、あるいは安ヶ森林道と呼んだようだ。その後、村道となってから道路名がいろいろ複雑に変わって行ったと想像する。
 
 それでもこの峠の開通年はしっかり写真に撮って置いた。碑文の最後に、「昭和36年(1961年)11月」と書かれているのだ。しかし、ふと考えてみると、これは石碑の建立日ではないだろうか。 現地で盛大に開通式を挙行したとあるが、その日付などが分からない。まあ、石碑の建立日より前であるのは確かで、大ざっぱに1961年開通と言ってほぼ間違いないだろう。
 
 参考まで、文献(日本歴史地名大系)では田代山峠の開通は1973年、土呂部峠は1982年の開通と読める。それらに比べ、安ヶ森峠の1961年はずっと早い。それだけ重要度が高い道だったと想像する。

   
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峠の舘岩村側 (撮影 2001.10.21)
石碑の前から落ちそうになりながら写した

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峠の栗山村側 (撮影 2001.10.21)

   

 最後にもう一枚、栗山村側から見た安ヶ森峠の写真を掲載する(下の写真)。この峠はもう二度と訪れることもないし、再び車が通行することもないかもしれない。

   
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かつての安ヶ森峠 (撮影 2001.10.21)

   
   
   

峠より舘岩村へ

   

<舘岩村側の道>
 峠の境より舘岩村側には、土の露出した未舗装路が下る。砂利敷きなどの整備もあまりされていない。ただ、私が越えた時点では荒れた様子はなかった。車道開削からあまり時間が経っていないというようで、路面の凹凸なども軽微だ。至って走り易い林道だった。

   
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峠から舘岩村側に下る道 (撮影 2001.10.21)
未舗装

   

<峠ノ沢上流部>
 道は県境上の1,250mのピークより北に延びる尾根近くを進む(地理院地図)。峠直下に流れる峠ノ沢の源流域を東へと巻いて行く格好だ。暫くは峠ノ沢の谷を通して遠くに視界が広がる。

   
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沿道から峠ノ沢の谷を望む (撮影 2001.10.21)
奥に見える山は土倉山(1,559.8m、地理院地図)だろうか?

   

<尾根沿いの道>
 尾根沿いの道は明るい雰囲気で気分がいい。未舗装ながら路面状況も悪くない。しかし、終始左手に深い谷を臨む。周囲の地形は急勾配で、その斜面に切り開かれた道はやはり険しい様相を呈する。しかも、ガードレールは皆無だ。一つ運転を間違えれば大参事に繋がる。
 
 しかし、当時は危険など微塵も感じたことはない。目の前の道を無事に走り抜けることに夢中で、路面や路肩の状態を凝視するばかりだった。 周囲に目をやれば、如何に自分が危険な地帯に居るかが分かるようなものだが、車の運転だけに集中していたのだ。景色を見ることも稀である。それがかえって緊張せずに車を運転できた理由かもしれない。今では不必要に緊張して、一峠越えるとクタクタである。

   
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尾根沿いの道の様子 (撮影 2001.10.21)

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尾根沿いの道の様子 (撮影 2001.10.21)

   

<尾根先端>
 現在の峠は峠ノ沢の西側支流の源頭部にあった。道は尾根先を回り込み(地理院地図)、峠ノ沢本流の上流部へと下って行く。尾根の先端近くでは峠ノ沢本流の谷を望む(下の写真)。

   
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峠ノ沢本流の谷を望む (撮影 2001.10.21)
右岸沿いに通じる道が見える

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右岸沿いの道の遠望 (撮影 2001.10.21)

   

<鱒沢川右岸沿いへ>
 道は峠ノ沢上流部を巻き(地理院地図)、続いて支流の葡萄沢を迂回した後(地理院地図)、鱒沢川右岸沿いになる。峠からそこまでは峠道らしいダイナミックさがある。ただ、尾根筋から外れて以降は殆ど視界が広がらず、景色もない。
 
 鱒沢川沿いは安定した道になる。しかし、それからがとにかく長い。狭い谷筋に通じる未舗装路がどこまでも続く。林に囲われ、沿道の変化も少ない。

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鱒沢川右岸沿い (撮影 2001.10.21)
道は安定したが単調だ

   

<戸中>
 安ヶ森峠の福島県側は南会津郡南会津町湯ノ花(ゆのはな)で、その前は同郡舘岩村の大字湯ノ花であった。ただ、文献(日本歴史地名大系)では戸中(とちゅう)から林道鱒沢線(安ヶ森林道とも)が安ヶ森峠に通じているとある。
 
 江戸期には戸中村があり、明治8年(1875年)に戸中他、吉高(よしたか)、押戸(おしど)、貝原(かいばら)、角生(つのう)、湯岐(ゆのまた)、湯入(ゆのいり)、水引(みずひき)の各村が合併して湯ノ花村となったそうだ。 戸中以外は湯ノ岐川沿いの集落のようだ。現在の地図では戸中は舘岩川沿いに見られる(地理院地図)。多分、鱒沢川の合流点付近も戸中なのだろう。その戸中から鱒沢川を遡って安ヶ森峠(鱒沢峠とも)に至っていたと言う訳だ。
 
 すると、鱒沢川沿いにはほとんど集落は発達しなかったようである。確かに湯ノ岐川沿いには平坦地が多いが、鱒沢川はずっと細い谷のままである。そこに通じる道も単調にならざるを得ない。ただ、集落はなかったかもしれないが、木地師などが小屋掛けをしたことはあったそうだ。
 
 尚、明治22年に湯ノ花村他合計7か村が合併して舘岩村が成立し、大字湯ノ花となった。

   

<鱒沢川沿い>
 鱒沢川沿いに単調な時間が続く。道は終始ピッタリ川に沿い、右岸側から一時左岸沿いになり、また右岸に戻る。途中、これと言って立ち寄るようなポインドはなく、写真に撮るべき物や景色もない。
 
<神社の鳥居>
 鱒沢川本流沿いも2/3を消化した辺りで、やっと神社の鳥居がポツンと立っていた(地理院地図)。多分「石の宮」と呼ばれるようだ。峠からは既に40分近くが過ぎた。鳥居は車道より川側にあった。社があったかどうか記憶がない。付近に人家などはなく、それ程開けた場所でもなかった。

   
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村道の標柱 (撮影 2001.10.21)
峠方向に見る

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神社の鳥居 (撮影 2001.10.21)
峠方向に見る
奥に村道の標柱が立つ

   

<村道標柱>
 ただ、鳥居の少し峠寄りに村道を示す標柱が立っていた。「名称、村道鱒沢線 用途、村道敷」などと書かれていた。峠方向に向かってここが村道鱒沢線の起点なのか、あるいはその一部かもしれない。とにかく、神社があることからして、それなりに意味のある地点なのだろう。

   

<鱒沢渓谷>
 神社の鳥居以降は鱒沢川はほぼ北へと流れ下る。舘山村に於いての観光資源としては、湯ノ岐川沿いの湯ノ花温泉や西根川沿いにある木賊温泉などであろうが、この鱒沢川沿いにも鱒沢渓谷がある(地理院地図)。何でも、「ふくしまの水30選」に選ばれたとか。残念ながら写真に撮らなかった。あまりその前後の川の様子と変化がなかったように思うのだが。

   

<広い谷>
 鱒沢渓谷が過ぎると徐々に谷が広がりだす。集落こそないが、沿道に建物も見えて来た(地理院地図)。少しは人里の雰囲気がする。

   
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谷が広がった (撮影 2001.10.21)

   
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木材置場を過ぎる (撮影 2001.10.21)
峠方向に見る
この先は直ぐに未舗装路

<木材置場>
 峠からの未舗装路がやっと途切れ、そこからは舗装路が始まった(地理院地図)。その沿道には切り出した木材が積まれ、作業小屋なども並ぶ。木材の集積所として使われるようだ。しかし、国道に接続するまで後200m足らずで、舘山村側はほとんど未舗装と言っていい。

   

<道路情報案内>
 小屋の間をすり抜けて進むと、峠方向に見て道路情報案内の看板が立つ(地理院地図)。最近は茶色で、以前はよくある青い看板だった。以前の看板の方が数10m程国道寄りに立っていた。国道側から入って直ぐの位置だった。

   
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道路情報案内の看板が立つ (撮影 2001.10.21)
峠方向に見る
手前が国道方向

   
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以前の道路情報案内の看板 (撮影 1992. 9.15)
峠方向に見る
国道に近い所に立っていた

   

 道路情報案内の看板からは特に得られる情報はなかった。「村道 
鱒沢線」と道路名があるだけだ。最近は南会津町の「町道」であろう。

   
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道路情報案内の看板 (撮影 2001.10.21)
奥の看板は釣り客への案内

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以前の道路情報案内の看板 (撮影 1992. 9.15)

   

<道路名の変遷(余談)>
 これまでにあった看板などに書かれた道路名は以下のようであった。
●舘岩村側
 ・林道鱒沢線:文献に記載(峠開通前?)
 ・村道鱒沢線:起点の道路情報案内、鳥居近くの標柱、峠の看板
●栗山村側
 ・安ヶ森林道:移木橋の銘板、峠の石碑
 ・一級村道ウツルギ沢線:起点の道路情報看板
 ・村道安ヶ森線:「森林基金の森」の看板
 ・林道安ヶ森線:起点の林道看板、峠の石碑
 
 正確なことは分からないが、道路名は次のように変わって行ったのではないだろうかと思う。
 
 峠に車道が開通する以前は、舘岩村の鱒沢川沿い及び栗山村のウツルギ沢沿いに、それぞれ何らかの車道が途中まで延びていた筈だ。それぞれを「鱒沢林道」、「安ヶ森林道」などと呼んでいたのではないだろうか。
 
 福島・栃木両県の助力により安ヶ森峠に車道が通じた時は、峠道全線に渡って「林道安ヶ森線」、あるいは単に「安ヶ森林道」と呼ばれたのではないだろうか。 移木橋は大きくて比較的新しい橋に思えるが、林道安ヶ森線開削時に新規に架け替えられたかもしれない。それで橋の銘板に「安ヶ森林道」とあるように思える。古くからあった安ヶ森峠を越える林道なので、この名は当然であろう。 栗山村にとっては元から安ヶ森林道などと呼んでいたら、尚更その名に違和感はない。
 
 その後、道路の維持管理をそれぞれの村が負うようになり、舘岩村側の全線を「村道鱒沢線」と戻したのではないだろうか。「安ヶ森」とは栗山村側の地名だろうから、これも当然だ。古い「鱒沢林道」のこともある。
 
 一方、栗山村側では何らかの理由で、ウツルギ沢本流沿いを「一級村道ウツルギ沢線」、ユナゴ沢沿い以降は「林道安ヶ森線」と分けて管理されるようになったのではないだろうか。 尚、「村道ウツルギ沢線」はあまり馴染みがなく、「村道安ヶ森線」とも呼ばれるのではないだろうか。峠が開通する前の大元から「安ヶ森線」であったことだろうし。
 
 ごちゃごちゃしたが、一般には安ヶ森峠を越える峠道全線を単に「安ヶ森林道」と呼んで全く支障ないだろう。

   

<国道に接続>
 村道鱒沢線は、舘岩川本流沿いに通じる国道352号に接続し(地理院地図)、そこで峠道も終わることとなる。 とても殺風景な分岐だ。国道沿いにも人家などの建物は見られない。ここは「鱒沢入口」と呼ばれ、その名のバス停が近くに立っている。古くは鱒沢川沿いに鱒沢と呼ばれる集落があったのではないか、とも思わせる名だが、文献などにはそんな集落の記載は全くない。
 
 安ヶ森峠の後は、東北の紅葉を求めて更に北上を続け、大辺峠など一日で10近い峠を越えた。やはり辺鄙な峠道は紅葉の穴場であった。

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前方に国道352号が通じる (撮影 2001.10.21)
周囲は閑散としている

   

<舘岩村のこと(余談)>
 栗山村はこれまでに8回訪れ、その内の3回はそれぞれ一泊ずつしている。この村には湯西川や川俣といった世に知られた温泉地があり、ダム湖などの景勝地も多い。訪れる観光客は少なくないだろう。
 
 一方、お隣の舘岩村と言えば、田代山峠を下って来た所に湯ノ花温泉があるが、その程度だろうか。観光ガイドには殆ど登場してこない村である。ただ、中山峠に近い高杖原の方にゴルフ場やスキー場があるが、私の趣味ではない。 そんな舘岩村を6回は訪れ、その内1回は野宿で一夜を過ごしたことがあった。日本列島を広く見れば、舘岩村は福島県の片隅にあるほんの小さな村である。私にとって縁も所縁(ゆかり)もないが、その地を意外と多く訪れていた。
 
 栗山村の場合もそうだが、舘岩村を旅すれば必ず峠を越えることになる。村自身が目的地だった訳でなく、峠道を走ったら自然とその村に行き着いていたのだ。それがこうした村を頻繁に訪れた要因であったようだ。

   
   
   

<終わりに(余談)>
 デジカメと違ってかつてのフィルム写真は、フィルム代や現像・プリント代と枚数に応じてコストが掛かった。また、ネガやプリントの整理も手間であった。 その割こ、この安ヶ森峠では40枚くらいの写真を撮ってあり、それが意外だった。峠の様子もいろいろな角度で写真に収めている。四半世紀前の峠の姿を、こうしてここに残すのも悪くはないだろう。
 
 ただ、ネガフィルムをスキャナーで一枚一枚電子データ化し、傾きや画角をトリミングし、色合いなどを微調整するのは時間が掛かる。 ウェブサイトを閲覧し、図書館で文献を読み、いろいろな情報を考慮してホームページにまとめるのは大変な苦労だ。かつての「今月の峠」の制作時間などとは比べ物にならない。延べ数10時間は費やしている。体調にもよくない。
 
 記念碑を建立し、開通式まで挙行した安ヶ森峠であったが、最近は通行止となっている様子だ。帝釈山地の他の田代山峠や帝釈山峠も危うい雰囲気である。 安ヶ森峠に続いてそちらも詳しく再掲載しておきたくなるのだが、それでは新規の峠が掲載できない。やりたいことは山ほどあるが、身体がもちそうにない。それでも書くだけ書いて再掲載を終え、ちょっとはホッとしている、安ヶ森峠であった。

   
   
   

<走行日>
・1992. 9.15 舘岩村→安ヶ森峠→栗山村/ジムニー にて
・1993.12.29 国道121号にて五十里湖通過/ジムニー にて
・1994. 8.12 田代山峠→舘岩村→伊南村/ジムニー にて
・1995. 8.18 田島町→中山峠→舘岩村(野宿)/ジムニー にて
・1995. 8.19 舘岩村(野宿)→伊南村/ジムニー にて
・1998. 7.26 檜枝岐村→小峠→舘岩村→中山峠→田島町/ジムニー にて
・2001.10.21 栗山村→安ヶ森峠→舘岩村/ジムニー にて
・2024.10.17 旧栗山村→安らぎの森で引き返し/ヤリス・クロスにて
 
<参考資料>
・東北 2輪車 ツーリングマップ 1989年5月発行 昭文社
・関東 2輪車 ツーリングマップ 1989年1月発行 昭文社
・ツーリングマップル 2 東北 1997年3月発行 昭文社
・ツーリングマップル 3 関東 1997年3月発行 昭文社
・ツーリングマップル 3 関東甲信越 2003年4月3版 1刷発行 昭文社
・マックスマップル 東北道路地図 2011年2版13刷発行 昭文社
・WideMap 関東甲信越 (1991年頃の発行) エスコート
・福島県 広域道路地図 1996年7月発行 人文社
・栃木県 広域道路地図 1996年1月発行 人文社
・県別マップル道路地図 9 栃木県 2003年 7月 発行 昭文社
・角川日本地名大辞典 7 福島県 昭和56年 3月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典 9 栃木県 昭和59年12月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・日本歴史地名大系 7巻 福井県の地名 1993. 6.15 初版第一刷 (株)平凡社
・日本歴史地名大系 9巻 栃木県の地名 1988. 8.25 初版第一刷 (株)平凡社
・旅先で入手した観光パンフレット各種
・地図のウェブサイト 「NAVITIME」、「MapFan」、「Yahoo!マップ」など
・川のウェブサイト 「川の名前を調べる地図」など
・福島県、南会津町、栃木県、日光市の公式ホームページ
・その他の各種ウェブサイト
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

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