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野々海峠
  ののみとうげ  (峠と旅 No.292)
  また一つ、関田山脈を越える峠道
  (掲載 2018. 8. 1  最終峠走行 2001. 7.28)
   
   
   
野々海峠 (撮影 2001. 7.28)
手前は新潟県上越市大島区菖蒲(しょうぶ)
奥は長野県飯山市大字照岡(てるおか)
道は林道西菖蒲線(新潟県側)
峠の標高は1,090m (文献より)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
この峠を訪れたのはもう17年も前のことなので、峠の様子も変わっていることと思う
 
 
 
   

<掲載動機(余談)>
 関田山脈を越える峠の内、 車道が通じる峠として関田峠から東に続いて牧峠伏野峠と掲載してみた。 残りは野々海峠と深坂峠(みさかとうげ)になるのだが、これらの峠はもう17年も前に一度訪れただけである。 最近の峠の様子なども知りたいが、今後いつまた訪れることができるか分からない。そこで古く数も少ない写真だが、それを使って関田山脈の峠を一応完結してしまおうと思うのであった。

   

<所在>
 峠付近の関田山脈はほぼ東西に連なるので、そこを越える峠道は概ね南北に通じる。
 
 峠の北側は新潟県上越市大島区菖蒲(しょうぶ)で、東頸城郡(ひがしくびきぐん)の旧大島村(おおしまむら)の大字菖蒲となる。
 
 一方、峠の南側は長野県飯山市大字照岡(てるおか)である。但し、峠に通じる車道は下って、長野県の下水内郡(しもみのちぐん)栄村(さかえむら)の大字豊栄(とよさかえ)の平滝(ひらたき)という集落に至る。 尚、新潟県との県境近くで飯山市と東隣の栄村との境が明確になっていないので、峠道のどこまでが飯山市、どこから栄村だかはっきりしない。
 
 また、古くは栄村豊栄の白鳥(しらとり、信濃白鳥)と新潟県とを繋ぐ峠道であったそうだ。平滝も白鳥も千曲川左岸の河岸段丘上に立地する。白鳥の方が2〜3Km上流側にある。

   

<地形図(参考)>
国土地理院地形図 にリンクします。
   


(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   

<峠道の共用>
 野々海峠の道は単独での存在ではない。東隣にある深坂峠の道と長野県側で合流し、栄村へと下っている。
 
 この様に、関田山脈に通じる峠では、峠道が完全に独立することなく、一部で共通している場合が見られる。 例えば伏野峠と須川峠は、峠の位置も近いが、新潟県側に下った上越市安塚区信濃坂(しなのざか)で道が一緒になるようだ。 また、牧峠と宇津ノ俣峠の長野県側起点はどちらも飯山市照岡の桑名川(くわながわ)集落で、長野県側から登る途中のどこかで分かれて行ったものと思う。現在の牧峠に通じる車道からも、宇津ノ俣峠への登山道が分かれている。

   

<水系>
 新潟県側には保倉川(ほくらがわ)の源流が流れ下る。保倉川は関川(せきがわ)の支流で関川水系となる。 関田山脈を越える峠の内、牧峠以東の宇津ノ俣峠・伏野峠・須川峠は全て保倉川支流の上部にある。 野々海峠はその保倉川本流の最源流に位置し、最も深い位置にあると言える。標高もそれらの峠の中で最も高い。
 
 峠の長野県側は千曲川の支流・野々海川が下る(信濃川水系)。しかし、野々海川が千曲川に注ぐ地点は飯山市照岡の西大滝となる。栄村豊栄の白鳥へは橋場川、平滝へはオマチ川といった川が流れ下る。峠道はそうした千曲川の複数の支流の間に複雑に通じている。

   

<峠名>
 野々海峠という名は、文献によると長野県側の峠直下にある「野々海池」(ののみいけ)に由来するそうだ。野々海川の最上流部にある灌漑用の池である。
 
 ただ、現在見られる大規模な野々海池が建設されたのは第2次大戦後とのこと(ダム竣工は昭和30年)。古くはその付近一帯は「野々海湿原」と呼ばれる湿地であった。「野々海」という地名も、そうした山間部に位置する湿地状の地形から生まれたのではないだろうか。小規模な堤なども建造され、現在より小さいながらも野々海池が存在したのかもしれない。それが峠名にもなったものと思う。

   

<野々海道>
 かつて野々海峠に通じる道は「野々海道」とか「野々海峠道」と呼ばれたようだ。越後(新潟)側の大島村菖蒲から野々海峠で信越国境を越え、信濃白鳥(または平滝)に到る道筋だ。野々海池の直ぐ南では深坂峠から下って来た「深坂峠道」が合流していた。
 
<白鳥峠道>
 一方、信濃側の白鳥を起点とする峠道ということで、「白鳥峠道」という呼び名も文献に見られる。「白鳥峠」といっても実際にその名の峠がある訳ではないようだ。白鳥から登り、「途中、野々海峠・深坂峠へと分岐する」とある。白鳥峠道は信濃側から見た野々海峠道と深坂峠道の総称と見るべきだろう。

   

<峠の役割>
 近世(江戸期)の野々海峠の役割は関田山脈に通じる他の峠道とほぼ同様である。信越間の物資交流や越後の農民が信州湯沢温泉に行く湯峠道、信州善光寺参りの道として使われたそうだ。
 
<渡船場>
 江戸期の物資交流に関しては千曲川の水運が大きく関わる。文献によると平滝には千曲川渡船場が、既に中世には存在していたそうだ。ただ、白鳥には渡船場があったような記述は見られない。
 
<千曲川通船>
 また、「千曲川通船」と呼ばれる大きな水運事業では、白鳥より上流側に位置する西大滝(にしおおたき)が下流側の終点であったそうだ。 西大滝の直ぐ下流が狭隘な渓谷となり、水運には向かなかったらしい。すると、野々海峠で信越国境を越えた物資は、平滝より千曲川下流側との間で交易が行われたのだろうか。
 
<千曲川左岸通り谷街道>
 江戸期以降の白鳥や平滝、その下流側の青倉などには「千曲川左岸通り谷街道」が縦貫していたと文献にある。この谷街道の詳しいことは分からないが、現在の国道117号の前身となるようだ。水運とは別に、この千曲川沿いの道を利用した物資交流もあったことと思う。

   
   
   
長野県側 
   

<平滝からの林道>
 栄村豊栄の平滝から峠方面に向かう林道が開削されたのは、戦後の野々海池建設が関係するようだ。 関田山脈の峠の多くに共通して言えることは、昭和初期に開通した鉄路・飯山線により新潟・長野の県境を越えての物資交流が衰退、辛うじて第2次大戦後くらいまで湯峠道として使われる程度であった。 そうした峠道にはなかなか車道は通じない。その点、野々海池建設は車道開削の大きな切っ掛けとなったことだろう。 ダムの竣工が昭和30年(1955年)というから、それまでには工事車両などが通れる道が開通していたことと思う。
 
 ただ、深坂峠を越える林道が開通したのは昭和56年(1981年)と文献にある。野々海峠については不明だが、これらの峠を越えての車道が開通するのは、野々海池完成のずっと後かもしれない。
 
<野々海天水越林道>
 手持ちの道路地図(大きな字の地図 新潟県 2001年4月発行 人文社)では、平滝から始まる林道を「野々海天水越林道」としている。 ただ、この「野々海」とは野々海池近辺を指し、また「天水越」(あまみずこし)は深坂峠を新潟県側に下った松之山町(まつのやままち)の地名である。 更に深坂峠には「林道野々海天水越線終点」の標柱が立っていて、野々海天水越線とは深坂峠から新潟県側の道路名の様に思われる。

   

<野々海池近辺>
 もう昔のことで、平滝から登った林道がどのような物だったか全く覚えていない。この道に入って最初に撮ったのは「野々海鳥獣保護区区域図」の写真(右)であった。カーナビなどない時代、現在地の把握に役立つ。
 
 看板の地図では新潟県の県境に「野々海峠」の文字が見えるが、深坂峠の方は車道が通じているが峠名の記載がなかった。


案内図 (撮影 2001. 7.28)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<温井野々海林道分岐>
 鳥獣保護区の地図には描かれていなかったが、その看板の近くで、野々海池の堰堤方面への道が西に分かれる(下の写真)。

   
野々海池方面への温井野々海林道の分岐点 (撮影 2001. 7.28)
左が野々海池方面、直進が野々海高原キャンプ場方面
   

分岐に立つ標柱など (撮影 2001. 7.28)

<分岐の様子>
 分岐の角に「国有林」と書かれた古そうな木柱と、「温井野々海林道」と記された林道標柱が立っていた。直進方向には「野々海高原キャンプ場」と道標がある。
 
 
<温井野々海林道(余談)>
 道路地図を見ると、温井野々海林道は関田山脈の南麓を横断するように西へ向かい、野々海池のダムの近くで野々海川を横切り、更に進んで須川峠直下を過ぎ、現在伏野峠に通じた国道403号に接続している。
 
 尚、温井(ぬくい)という地名は国道403号の近くには見られない。 関田峠を越える県道95号沿い(長野県飯山市大字一山)にあり、鍋倉高原を貫くみゆき野ラインの西の起点ともなる。 そうすると、温井野々海線とは関田山脈南麓の広範囲を横断する道の呼称ということになる。

   

<野々海池(寄道)>
 温井野々海林道を300m余りも行くと、野々海川を堰き止めたダムが現れ、野々海池が広がる様子が眺められる。新潟県との県境も程近い標高1,040mを越える高所に、これ程大きな溜池があるというのが驚きだ。

   
野々海池 (撮影 2001. 7.28)
左手前がダム堰堤
   

<野々海峠遠望>
 池を挟んだ対岸には、もう直ぐそこに関田山脈の主脈が連なる。その稜線に僅かな鞍部が確認できるが、そこに野々海峠が通じる筈だ。

   
野々海池 (撮影 2001. 7.28)
池の奥が新潟県との県境を成す関田山脈の稜線
中央やや左の僅かな鞍部が野々海峠だと思う
   

<林道通行止(余談)>
 堰堤脇を過ぎた先で温井野々海林道は通行止だったと思う。ゲートが閉じられ、「路肩決壊」と出ていた。 2017年9月に国道403号側の林道分岐を訪れたが、通行止などの看板はなかった。ただ、見るからに険しそうな林道であった。

   
林道通行止箇所 (撮影 2001. 7.28)
   
   
   
深坂峠分岐以降 
   

<深坂峠分岐>
 現在の林道は野々海池の南東の端で、西の野々海峠と東の深坂峠へとに分かれる。分岐の付近は野々海高原キャンプ場となっている。 洒落た小屋などが立ち、その一帯だけ雰囲気が違う。県境越えのもっと険しい峠道だと思ってやって来たのだが、何となく意表を突かれた感じだった。

  
この先の十字路が野々海峠と深坂峠との分岐 (撮影 2001. 7.28)
左が野々海峠へ、直進が深坂峠へ、右は駐車場
付近にはキャンプ場が広がる
   

<野々海峠へ>
 深坂峠への道から分かれ、野々海池の北岸を野々海峠への道が登りだす。以前は砂利のダートだった。途中、樹間から野々海池を望めた。

   
野々海池を望む (撮影 2001. 7.28)
   

<野々海峠>
 2Km程で峠に到る。そこまでの砂利道は意外と走り易く、野々海峠は予想外に簡単に辿り着けたといった印象だった。

   
野々海峠 (撮影 2001. 7.28)
手前が長野県、奥が新潟県
ジムニーは峠に隣接する待避所に停まる
   

<峠の様子>
 峠の長野県側が砂利道だったのに対し、新潟県側は立派な舗装路が伸びていた。丁度峠の頂上の路肩に、車2台程度の待避所が設けられていた。

   
野々海峠 (撮影 2001. 7.28)
手前は新潟県へ、右奥が長野県へ
   

 現在、関田山脈には信越トレイルのコースが設定されている。伏野峠から野々海峠・深坂峠を過ぎ、天水山(あまみずやま)までが最も東のセクション6となるようだ。この野々海峠まで車でやって来て、信越トレイルを歩く者も居るのだろう。
 
 牧峠や伏野峠は元の位置とはやや異なった所に車道が通じる。それぞれ別に旧峠が存在するようだ。 一方、この野々海峠では、道はしっかり関田山脈の鞍部を越えていて、近くに旧道らしいルートも見られない。よって、現在の車道の峠はほぼ昔からある野々海峠と一致するものと思う。

   
長野県側の道 (撮影 2001. 7.28)
この時はダート
   

林道標柱など (撮影 2001. 7.28)
地面に横たわっているのは、保安林の看板

<林道西菖蒲線>
 峠には林道標柱が立ち、「林道西菖蒲線 終点」と出ていた。延長などは埋もれて読めない。この道は上越市大島区側のものだろう。下ると県道348号・菖蒲高原線に接続する。
 
 尚、峠より長野県側の道の名は不明だ。2本の標柱が立っていたが、「鳥獣保護区」と「一六三 林班」と書かれていただけだった。

   

<峠の新潟県側>
 野々海峠前後では眺望がない。峠から新潟県側をのぞいても、真っ直ぐな舗装路が延びて行くばかりだ。

   
峠から新潟県方向を見る (撮影 2001. 7.28)
道は下っていた筈だが、この写真では登っているようにも見える
   

<菖蒲>
 峠の新潟県側は上越市大島区の菖蒲で、江戸期からの菖蒲村。明治22年に菖蒲・牛ケ鼻の2か村が合併して元保倉村(もとほくらむら)が成立、菖蒲は大字となる。 明治34年には元保倉村が大島村と合併したことで、大島村の大字菖蒲となって行く。保倉川の最上流域に位置し、保倉川を挟んで菖蒲東と菖蒲西に分かれる。

   
   
   
見晴らし箇所へ 
   

沿道に地蔵が佇む (撮影 2001. 7.28)

<見晴らし箇所>
 峠からの眺望はないが、新潟県側に500m程下ると、見晴らしのいい箇所に出る。路傍には石が積まれ、その上に地蔵が佇む。 ここは峠ではないが、ほぼ「峠の地蔵」と言える存在だ。眺めのいい場所を選んで地蔵を祀ったのかもしれない。信越国境を越えての交易や信州湯沢温泉への湯治客、信州善光寺への参拝者などがこの地蔵に手を合わせ、峠道を越えて行ったのであろう。

   
地蔵箇所より峠方向を見る (撮影 2001. 7.28)
   
地蔵 (撮影 2001. 7.28)
   

<新潟県側の眺望>
 地蔵の脇から下界の様子が覗く。菖蒲の南部に広がる菖蒲高原を望む。その中央に溜池が見える。

   
新潟県側の景色 (撮影 2001. 7.28)
菖蒲高原を望む
   
   
   

 野々海峠はここまでで、菖蒲高原へは下らず、引き返して深坂峠を目指した。

   
   
   

<走行日>
・2001. 7.28 長野県側より峠まで往復 ジムニーにて
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 15 新潟県 1989年10月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典 20 長野県 平成 3年 9月 1日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・WideMap 関東甲信越 (1991年頃の発行) エスコート
 ・大きな字の地図 新潟県 2001年4月発行 人文社
・県別マップル道路地図 20 長野県 2004年 4月 2版 7刷発行 昭文社
・ツーリングマップル 3 関東 1997年3月発行 昭文社
・ツーリングマップル 3 関東甲信越 2003年4月3版 1刷発行 昭文社
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

<1997〜2018 Copyright 蓑上誠一>
   
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