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序 |
<掲載動機> |
![]() 四郎ヶ野峠を越える国道493号線沿いにて (撮影 1993. 5. 3) |
![]() 矢筈峠 (撮影 1993. 5. 3) |
当時使っていたツーリングマップ(1989年7月発行)には走行経路を記してあった。それを調べてみると、弓木隧道は高知県の安芸市と香我美町(現香南市)との境の峠であった。
ツーリングマップにはトンネル名は記されておらず、「新設路線 峠はトンネル」とコメントされていた。そこでボールペンで「弓木隧道」とメモしておいたようだ。
このところ、白髪峠に始まって四国の峠ばかり12峠掲載してきた。こうなったら、もう少し掲載を続けようと思う。 |
<地理院地図(参考)> 本ページでは地理院地図上での地点を適宜リンクで示してあります。 |
<所在> |
安芸市側 |
<安芸川沿い> |
<安芸川水域> |
<畑山川> |
<畑山温泉付近> |
![]() 畑山温泉前 (撮影 1997. 9.26) |
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畑山温泉の様子 (撮影 1997. 9.26)
<林道畑山奥西川線> |
![]() 畑山林道の分岐に立つ看板 (撮影 1997. 9.26) |
<畑山林道分岐> |
![]() 道標 (撮影 1997. 9.26) |
![]() 林道標柱 (撮影 1997. 9.26) |
宝蔵峠では「四国の山深さを痛感する」などと記したが、この畑山林道の山深さはどうだ。安芸川水系と物部川水系を繋ぐことから、一種の峠道にもなるはずである。すると、弓木隧道を抜いて安芸川水系最奥の峠道ということになってしまう。
ただ、一般には通り抜けられるような道ではなさそうなので、やはり弓木隧道が一番としておこうと思う。 |
![]() 林道看板 (撮影 1997. 9.26) |
![]() 注意書き (撮影 1997. 9.26) |
<中津尾(余談)> |
<道標の舞川> |
<安芸市舞川へ> |
峠 |
<弓木隧道の様子> |
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弓木隧道の安芸市側(再掲) (撮影 1993. 5. 3)
調べてみると、弓木隧道は2度訪れていた(1993年5月と1997年9月)。2度目は旧香我美町側から越え(下の写真)、その後、宝蔵峠に向かったのだった。そのことを思い出し、前回はまず先に宝蔵峠を再掲載したのだった。 |
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弓木隧道の香南市(旧香我美町)側 (撮影 1997. 9.26)
<隧道名> |
<トンネル開通> |
<扁額> |
<「隧道」と「トンネル」(余談)> |
![]() 安芸市側の扁額 (撮影 1993. 5. 3) |
![]() 香南市側の扁額 (撮影 1997. 9.26) |
それにしても、四国ではトンネル開通が概ね昭和40年代以降と、比較的最近であることが多い。トンネル開通が峠の車道開通に等しい場合が少なくなく、四国の地では車道の発達が遅れていたことを示すものではないかと思える。 |
<弓木隧道以前> |
香南市側 |
<香南市> |
<香南市側の水系> |
<撫川> |
<撫川内> |
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日向川の十字路 (撮影 1997. 9.26) |
<舞川の中心地> |
<看板の行先> |
![]() 分岐の看板 (撮影 1997. 9.26) |
![]() ちょっと古い分岐の看板 (撮影 1994. 5.23) |
<日向川集落の様子> |
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日向川の十字路 (撮影 1994. 5.23)
30年前の様子
この時、ジムニーは大栃方面(右)から来て、
次に奈良峠(奥)へと向かった
ただ、安芸市側の舞川(轟)が既に無住となっていたように、香我美町の舞川の過疎化も急激に進んだようだ。今頃はこの十字路付近の様子も随分変わったことだろう。 |
<弓木隧道の道の起点> |
舞川沿いの峠道(余談) |
<舞川沿いの峠道> |
<物部町大栃〜香我美町舞川の間> |
<塩の道> |
<県道29号の様子> |
<旧舞川の地> |
<栃本> |
<香我美町舞川> |
<杉木立> |
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県道29号の様子 (撮影 1994. 5.23)
杉木立の中を行く
奥が大栃方面、手前が日向川
<撫川> |
<県道51号> |
<舞川源流部> |
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県道標識が立つ (撮影 1997. 9.26) |
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県道標識 (撮影 1997. 9.26) |
<県道標識> |
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舞川水域最奥を越える小さな峠 (撮影 1997. 9.26) |
<舞川水域最奥の峠道> |
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峠の様子 (撮影 1997. 9.26)
<徳善往還> |
<県道221号分岐> |
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県道221号の分岐 (撮影 1997. 9.26) |
![]() 分岐に立つ看板 (撮影 1997. 9.26) |
県道221号(余談の余談) |
県道51号の舞川水域最奥の峠は撫川と奥西川との境だったので、峠道としては県道221号の方をこのまま下り、西の川沿いへと至るのが本来だ。 |
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県道221号線沿いの様子 (撮影 1997. 9.26)
西の川沿いへと下る方向に見る
![]() 奥西川(乙)の奈良集落を望む (撮影 1997. 9.26) |
<奈良集落> |
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西の川の谷の遠景 (撮影 1997. 9.26)
左奥へは記念坂
右手前は西の川上流部を越える奈良峠方面
右奥は西の川沿いに県道224号が下る
<林道畑山奥西川線の分岐> |
![]() 林道畑山奥西川線の分岐点 (撮影 1994. 5.23) |
県道51号の続き(余談) |
<夜須町羽尾へ> |
![]() 手結羽尾林道の途中 (撮影 1994. 5.23) |
<手結羽尾林道へ> |
<手結羽尾林道沿い(余談)> |
![]() 手結羽尾林道からの眺め (撮影 1994. 5.23) |
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手結羽尾林道からの眺め (撮影 1994. 5.23)
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土佐湾岸を望む (撮影 1994. 5.23)
夜須川河口から雄物川河口付近が見えている
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最近は「弓木隧道」とネット検索すると、災害復旧の記事が出て来る。トンネルに土砂が堆積し、その前後の林道畑山奥西川線が通行止になっているようだ(2024年12月現在)。 |
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<走行日> <1997〜2024 Copyright 蓑上誠一>
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