ホームページ★ 峠と旅★ |
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秩父市・川上村 |
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V字の形が見事 |
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大紀町・南伊勢町 |
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長い直線路の切通し |
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<峠の形態> 峠に関して思いを馳せる時、峠に立つ石碑や地蔵、峠の茶屋やドライブイン、峠から眺める景色、峠にまつわる歴史・史実、峠道の変遷、 峠道全体の様相、周辺の地形や立地などなど、いろいろな視点・観点がある。 しかし、そうしたやや付属的な要素を一切排除すると、残るのは峠そのものの「形」ではないだろうか。 峠はその実用性の面からすれば「道」である。道としての「形」、あるいは「形態」という面から峠を見たら、どういうことになるであろうか。 以前、トンネル三大峠と題してトンネルの峠を見てみた。 この「トンネル」も峠の一つの「形態」と考えることができる。 ただ、他の峠と比べると、あまりにもその形態が異なるので、ここではトンネルの峠は除くこととする。 |
<切通し> トンネルを除くと、その他の峠のほとんどは、いわゆる「切通し」(きりとおし)と呼ばれる形態になるだろう。 元々、峠はそれが越える山稜のなるべく低い所、いわゆる「鞍部」(あんぶ)を選んで越えることが多い。 この鞍部も、言ってみれば「切通し」の親玉みたいのものである。 峠を人の足で越えていた時代は、自然の鞍部をそのままに越えていたことが多いだろう。せいぜい人の踏み跡程度が稜線上が削られる程度であったのではないか。 また大きな街道などで馬や牛、あるいは荷車程度を通す為に、ある程度の規模の切通しを築いたことはあったかもしれない。 しかし、切通しの規模が格段に大きくなるのは、やはり明治以降の車道の開削が一番の切っ掛けだったのではないだろうか。 自動車を越えさせる為には、道幅を広くしなければならないし、道の勾配も抑える必要がある。 自ずと稜線を越える切通しは、大きなものとなって行ったであろう。 歩いて越えるこじんまりした切通しも、それなりに味わいはあるのだろうが、やはり見栄えとしては大きな切通しの方が面白い。 深いV字に切れ込んだ切通しなどは眺めていて惚れ惚れする。 道の両側の法面が垂直に切り立っていたり、道の頭上から木々が覆いかぶさり、まるでトンネルのようになっている峠もある。 しかし、折角トンネルではなく峰の上を越えるなら、空が開けている方がいいのではないだろうか。 どうせなら、切通しの向こうに遥かな山並みが望めれば尚素晴らしい。 峠によっては道がカーブして越えるのもあるが、なるべくならストレートに通じて欲しいものだ。 |
あれこれ勝手なことを考えながら、「切通し三大峠」を選ぼうと思ったが、三国峠と藤坂峠以下はどれもドングリの背比べのようで、
結局第3位が決まらなかった。
かと言って、三国峠と藤坂峠がダントツに切通しが良い峠という訳でもない。やや個人的な思い入れがあったようだ。
「トンネル三大峠」に続き、今回もやや企画倒れの感が否めないのであった。 |
三国峠 |
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<三国峠> 埼玉・長野の県境に通じる唯一の車道としても知られる三国峠。つい最近この峠を越えた方から電子メールを頂いたが、埼玉県側の中津川林道は今も未舗 装が健在とのこと。峠は深い均整の取れたV字を成す。その法面は土や岩が露出したままの荒々しさを見せている。長野県側から切通しを望むと、その先に 埼玉県側の山々がちらりとのぞき、それに続く頭上の空も開けている。とにかく切通しの峠として代表的な存在と言えるのではないだるか。 |
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この峠の「形」もやはり車道開削による結果であろう。険しい中津川林道の峠であり、稜線に加えられた土木工事も最小限度だ。切通しの道幅は車一台が通る
のに最低限しかない。法面もコンクリートなどで固めることなく、崩れるか崩れないかの微妙な角度を維持している。この危うさもいい。いつかこの姿が消えて
しまいそうな不安を感じさせる。自然の力で壊れるだけでなく、人工的にこの峠が改修される可能性もある。あるいは一挙にトンネルが開通し、峠は廃道になる
かもしれない。いつまでこの姿を留めていることだろうか思わざるを得ない。 |
藤坂峠 |
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<藤坂峠> 道は主要地方道であるが、今も尚細く長く、それはそれは険しい峠道だ。地形図でもまだ一本線で道が描かれる始末。 その険しさが峠の切通しにもひしひしと表れている。とにかく細く長い。 冬の積雪時に訪れ、あえなく峠で引き返した経験もあり、藤坂峠は「険しい」と印象に残った。それでいて、切通しの上は開けに開けている。 山稜を越える雄大さを、この切通しが一手に引き受けているかのようだ。 |
その他の切通しの峠 |
<地肌が露出した切通し> 中津川林道の三国峠もそうだが、林道の峠は切通しの法面がコンクリートなどで覆われることなく、土や岩が露出していることがままある。その荒々しい様子 は、良く整備された国道や県道を走っているだけでは見られない。ただ、いつまでもそうした姿で留まっている訳でもはない。開発の手が伸び、路面にはアス ファルトが打たれ、法面はコンクリート擁壁化されていく。以下の峠も、もう既に変貌しているかもしれない。 |
椎矢峠 (撮影 1999. 5. 5) これで峠で道が曲がっていなかったら、3位に入る切通しの峠なのだが |
田代山峠 (撮影 1994. 8.12) こちらも道が曲がっている |
諸坪峠 (撮影 1991.11. 4) 岩の露出が多かった |
小代越 (撮影 1997. 4.29) |
湯峠 (撮影 2001. 7.29) 峠にゲートがある |
蕨峠 (撮影 2007.10 17) やや暗い |
南峠 (撮影 2001.11.10) こじんまりした切通し |
春分峠 (撮影 2015. 5.31) 道の両側に立つ木々が高い |
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<三重県の峠> 藤坂峠もその一つだが、三重県にはなかなか味のある切通しの峠が多い。それも内陸ではなく、比較的海に近い所にある。次の剣峠(つるぎ)や古和峠(こ わ)がその代表例だ。リアス式の複雑な海岸線とも関係あるのか、低山ながら険しい地形に狭く鋭い切通しが通じる。剣峠は伊勢神宮のご神域との境ともなり、 どことなく近寄り難い雰囲気がある。 |
剣峠 (撮影 2004. 5. 2) |
古和峠 (撮影 2004. 5. 2) |
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<大きい、長い切通し> 高知県の興津峠(おきつ)は、麓の方からもあそこが峠だと分かる程大きな切通しになっている。また、棧敷(さじき)、日ノ尾、六地蔵越などは切通しの部分 が細長い峠である。しかし、ただ大きかったり長かったりするだけの峠を選んでも能がない。切通しが長い峠は空が開けず、越えていてあまり面白くない。やは りV字で空が開けている方がいいのでは・・・。 |
興津峠 (撮影 2015. 5.31) 高知県四万十町 大きな切通しで、遠くからもその様子が望める |
棧敷峠 (撮影 2015. 5.28) |
日ノ尾峠 (撮影 2003. 4.29) 何しろ、阿蘇山の高岳と根子岳の間を抜ける峠だ 長い切通しになっている |
六地蔵越 (撮影 2015. 5.29) 徳島県善通寺市・三好市 なかなか味わいがある |
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<その他> トンネルでなければ、そのほとんどが切通しの形態なので、対象となる峠は無数にある。過去に訪れた峠の写真をいろいろ眺めてみたが、その中から3つの峠を 選ぶというのは、ほとんど無理であった。写真の撮り方によっても、峠の印象が随分と異なる。それに私がまだ訪れていない峠の中にも見事な切通しの峠があるかもし れない。つらつら眺めた写真の何枚かを下に挙げて、今回の「切通し三大峠」もお茶を濁すこととする。 |
神坂峠 (撮影 2013. 5.22) 標高が高く、とても開けた峠 |
南葉山峠(仮称) (撮影 2001. 7.29) 切通しの向こうに景色を望む |
米山峠 (撮影 1995. 1. 2) |
矢頭峠 (撮影 1996. 1. 3)板 |
引牛越 (撮影 1994.10.10) |
将軍川林道の峠 (撮影 1993. 3.28) この先行き止まりで引き返した |
奥西河内林道の峠 (撮影 1993. 3.26) |
藤越 (撮影 1993. 3.26) |
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<終りに> 峠そのものは、一般にはあまり関心が持もたれない。 峠にまつわる小説を読んだことがあるとか(天城峠の「伊豆の踊子」など)、旧中山道の宿場などが観光地化され、 その延長で近くの峠にも立ち寄るとか(馬籠宿と馬籠峠)、こうした付随的な要因から峠に関心を向けることがほとんどだろう。 そうした物語や歴史などとの繋がりで峠を見るのも決して悪くはないが、一方で峠は厳然とした「道」としての機能を持つ存在だ。 それは過去だけのことではなく、現在でも旅をする上で欠かせないものとなる。 その道としての「形」に着目することで、峠本来の魅力が見えて来ないかと思った。 過去の歴史に頼るばかりの峠ではなく、今の時点で道としての機能を立派に果たす峠として、きっと面白い筈だという気持ちがあった。 しかし、結局何ら結論めいたことは一向に出て来ない。標高など違って「切通し」を定量的に評価するのも難しい。 そもそも峠の切通しの「形」に良いも悪いもある筈なく、主観的な好き嫌いがあるだけだろう。 それでも、三国峠のあの切通しを眺めると、惚れ惚れするのは私だけではないような気はするが・・・。 <1997〜2015 Copyright 蓑上誠一>
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