<神山町の峠>
このところ、四国は徳島県の神山町(かみやまちょう)に通じる峠道の掲載が続いた。鮎喰川(あくいがわ)中・上流域に位置するこの町は、鮎喰川に沿って通行する以
外、外界との行き来は全て峠越えとなる。すなわち神山町には峠道が多い。それにしては最奥に通じる川井峠(川井隧道)を2001年2月に掲載して以来、これまで他
の峠を全く取り上げなかったのも不思議である。ここでちょっと整理も兼ね、神山町の主な車道の峠を、標高順に列記してみようと思う(全くの余談)。
〇旭丸峠:約1,205m、林道野間殿川内線
〇雲早隧道:約970m、国道193号
〇経の坂峠・倉羅峠:約765m、国道193号
〇川井峠(川井隧道):約730m、国道438号(439号併用)
〇焼野峠:約710m、県道(主要地方道)43号・神山川島線
〇柳水ノ峠・柳ノ多尾:約485m、県道245号・二宮山川線
〇梨ノ峠・梨ノ木峠:416m、県道(主要地方道)31号・鴨島神山線
注:標高は地理院地図の等高線で調べたものが殆どで、±5m程度の誤差がある。
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<旭丸峠の印象>
こう列記してみると、神山町では今回の旭丸峠がダントツに高い峠であることが明白だ。しかも、他の峠には国道や主要地方道・県道が通じているのに対し、旭丸峠は険しい林道の峠である。この峠を除いて神山町の峠は語れない、という程の峠である。
まあ、そんなことは重々承知していたのだが、どうもこの峠ばかりは手に負えないとう気がしていた。何とも捉えどころがない峠という印象が強いのだ。まず、峠道が複数存在し、どれが本線か分からない。峠の様子も、はっきりした切り通しなどではないので、写真に撮っても全く峠らしく見えない。
そもそも「旭丸峠」と呼ばれる場所が2ヶ所あったりする。初めて峠を訪れた時、持参して来た写真フィルムは既に使い果たし、後はカメラに装填しているフィルムのみとなった。
それでもどうにか峠だけは写真に納たと思ったら、その後に本当の峠がやって来た。峠の開削記念なども立っている。残念でならなかった。
その上、峠を神山町の悲願寺方面へと下ると、それまでいろいろな林道でジムニーを乗り回して来た私でも、たじろぐような険しさである。
しかも、やっと悲願寺を過ぎたと思ったら、その先で崖崩れによる通行止に遭った。必死になって麓に降りられる別ルートを探したのだった。そんな様子も写真には残っていない。
最近、神山町の峠をいくつか取り上げたので、旭丸峠を掲載するにはいい機会である。少しでもその実態に肉薄できたらと思う。
尚、神山町の峠で柳水ノ峠(柳ノ多尾とも)はまだ越えたことがなく、今後も越える見込みがない。残念ながらこの「峠と旅」で掲載することはないようだ。
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<峠名>
何はともかく、まずは峠名だけでもはっきりさせたい。一般の道路地図などでは「旭丸峠」と出ている。読みは「あさひまるとうげ」とする場合が殆どだ。しかし、その根拠はあまりはっきりしない。
<旭ノ丸峠>
いつも頼りとしている文献(角川日本地名大辞典)には、そもそもそんな名の峠は掲載されていない。色々調べてみると、やっと「旭ノ丸峠」(あさひのまるとうげ)という項を見付けた。
その解説文によると、峠は勝浦郡上勝町生実(いくみ)と名西(みようざい)郡神山町神領の境にある、標高は1,190m、林道野間殿川内線が通じる、旭丸峠開鑿記念碑が立つ、峠から2km南東には柴小屋山(1,249m)がある、などである。
これは正に今回の旭丸峠を指す。旭ノ丸峠という名はこの文献以外に見たことはないが、そうした峠名も存在すると思ってよさそうだ。更に「旭丸」と書いても「あさひのまる」と読ませるとも考えられる。
以下では本峠を「旭丸峠」と書くが、「旭ノ丸峠」でもあることを考慮する。読みは「あさひまる」と「あさひのまる」のどちらも可であろう。個人的には「あさひのまる」と呼んでおきたい。結局どっちつかずであった。
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<所在>
上勝町と神山町の境を林道野間殿川内線が通じる旭丸峠開鑿記念碑が立つ峠は一つである(地理院地図)。ツーリングマップ(ル)にもそこを旭丸峠としている。ただ、残念なことに地理院地図に峠名の記載はない。
<神山町神領>
この峠の北側は徳島県の名西群(みようざいぐん)神山町(かみやまちょう)大字神領(じんりょう)になる。江戸期からの神領村で、明治22年に市制町村制施行による神領村となる。大字は編成せず。
昭和30年に神領他、阿野(あの)・鬼籠野(おろの)・上分上山(かみぶんかみやま)・下分上山(しもぶんかみやま)の5か村が合併して神山町ができ、旧神領村は大字神領となる。
峠を神領側に下ると西野間(にしのま)といった集落が出て来るが、峠に隣接する地は大字神領以下の地名は持たないようだ。旧神領村が大字を編成しなかったことも関係するのだろうか。
尚、神山町側の峠道は一本とは限らず、西野間以外にも通じる(後述)。
<上勝町生実>
峠の南側は同県勝浦郡(かつうらぐん)上勝町(かみかつちょう)大字生実(いくみ)になる。更に細かくは字雄中面(おなかづら)になるようだ。
<生実村・福原村>
明治9年に樫原村(かしはらむら)・久保村(くぼむら)・瀬津村(せづむら)・野尻村(のじりむら)が合併して生実村できた。
続いて明治22年、生実・福原・旭の3か村が合併して福原村(ふくはらそん)が成立、旧村名を継承した3大字を編成。更に昭和30年、福原村と高鉾村(たかほこそん)が合併して上勝町となり、合併両村の5大字を継承した。
現在の上勝町の大字生実の中には、元の樫原村・久保村・瀬津村・野尻村が含まれることになる。しかし、自治体の再編成が進んで、旧村の領域は今では調べるのが困難だ。
さて、雄中面(おなかづら)はどの村だったのだろうか。
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<地理院地図(参考)>
国土地理院の
地理院地図
にリンクします。
本ページでは地理院地図上での地点を適宜リンクで示します。
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<もう一つの旭丸峠(余談)>
文献(角川日本地名大辞典)では峠の標高を1,190mとしている。しかし、現在の地理院地図で見る限り、林道野間殿川内線の峠は明らかに1,200mを超え、1,205m前後である。しかし、標高の数値は時に改定されたりすることもあり、そのまま鵜呑みにできない。
また、峠から2km南東には柴小屋山があることになっている。その標高1,249mの山は確かに地理院地図にも記載がある(地理院地図)。しかし、峠から柴小屋山まで直線距離で約1.5Km、道なりでも2Kmに満たないように思う。
<剣山スーパー林道の町境>
そこでちょっと西に目をやると、剣山(つるぎさん)スーパー林道が神山町と上勝町の境を越える地点がある(地理院地図)。
地図によってはこの場所を旭丸峠としているものがあるのだ。確かにスーパー林道が町境を越える様子は見事な切り通し状になっていて、如何にも峠らしく見える。これに惑わされるのだ。
しかし、神山町側に入ったスーパー林道は麓には下らず、そのまま稜線沿いを西に進んでしまう。全く峠道の体を成さない。地図をよく見ておけば、そこより道程で約350m東隣に本当の峠があることが分かる。
ちなみに、本来の旭丸峠と剣山スーパー林道の町境は近い存在だが、神山町側の住所は異なる。旭丸峠は大字神領だったが、町境は大字下分(しもぶん)と変わる。
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<峠名の由来>
文献では、「峠名は峠のすぐ西にある旭ノ丸(1,312m)による」としている。この山名についても、「旭丸」か「旭ノ丸」という違いがある。大抵の資料では「旭丸」を採用しているが、稀に「旭ノ丸」と言う文字も見掛ける。地理院地図にその標高1,312mのピークが見られるが(地理院地図)、やはりそこに山名の記載はない。
<もう一つの旭丸>
この旭丸という山も厄介な存在であった。道の駅「温泉の里・神山」でもらった神山町ガイドマップでは、旭丸峠の記載はないが、代わりに「旭丸1232」とあるのだ。
地理院地図では峠の東にその標高のピークが見られる(地理院地図)。
また最近参考にしている「とくしま電子図書館・阿波学会研究紀要」の中の文献「神山町の峠道」に、やはり旭丸峠の記載はなく、「旭ノ丸」だけが地図に示されていた。その位置がどう見ても1,232mのピークである。地元の資料がそう言っているのだから、それが正しいような気もする。
<高根山(余談)>
旭丸に関係して高根山(こうねやま)の存在がある。ただ、この呼び名は付近一帯の山の総称に使われる場合が多い。高根山の最高峰1,312mの山を旭丸、あるいはその頂部分を旭丸と呼んだそうだ。
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ともかく、現在は林道野間殿川内線の開通により生じた峠を旭丸峠と呼ぶことは確かだろう。しかし、林道開通前にその付近に何らかの峠が通じていた可能性はある。
その一方で、文献「神山町の峠道」では旭ノ丸という山は記されているが、旭ノ丸峠については一切言及がない。旭(ノ)丸は山名としては歴史が古いが、峠名としては比較的最近になって使われるようになったものと思う。
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<吉野川水系>
神山町の中央を流れる鮎喰川(あくいがわ)は吉野川右岸有数の支流になる。峠はその鮎喰川右岸の支流・野間(のま)谷川(地理院地図)の源流部に位置するものと思う。歯切れが悪いのは、同じく支流の高根(こうね)谷川(地理院地図)の源流部にも至近で、どちらの水域か迷うのだ。ここでは野間谷川としておく。
尚、剣山スーパー林道の町境は、更に西側の支流・左右山(そうやま)谷川(地理院地図)の源流部になる。この峠や町境の付近、3つの川の水域が隣接していて、とても複雑だ。
<勝浦川水系>
上勝町側には勝浦川(かつうらがわ)が流れる。こちらはそのまま紀伊水道に注ぐ一水系を成す。峠は勝浦川本流のほとんど最源流部に近い。
よって、旭丸峠は吉野川水系と勝浦川水系の分水界にあるが、吉野川水系側では支流・鮎喰川の更に支流の上流部に位置する。その一方、勝浦川水系ではその本流を代表する峠となる。
<八重地トンネル>
尚、上勝町に於いて勝浦川沿いに通じる徳島県道(主要地方道)16号・徳島上那賀線が町の幹線路となる。ただ、この県道は途中より支流の旭川(あさひがわ)沿いに遡り、八重地(やえじ)トンネルで那賀町(旧木沢村)に入る。
勝浦川のより源流部を越える旭丸峠の方が、地形的には八重地トンネルより格上の峠となる。しかし、寂しい林道の峠道と県道では比べ物にならない。やはり県道の方が格上と言えるか。
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<峠の立地>
峠は剣山地(つるぎさんち)の主脈を越えている。剣山地は四国山地東部を成す山地になる。剣山山地(つるぎさんさんち)とか剣山脈などという呼称もあるが、その違いはよく分からない。地理院地図では「剣山地」と書かれているので、ここでもその名称を使う。
剣山地は、概ね西の京柱峠付近から始まり、四国第二の高峰・剣山を通り、高城山・高根山(旭丸)・旭ヶ丸などを経て、東の中津峰山へと至る。これが主脈となり、他に4つ程の分脈を持つそうだ。
<剣山地主脈の峠>
主脈を越える車道の峠としては、京柱峠(約1,130m)、矢筈峠(約1,255m)、雲早隧道(約970m)、今回の旭丸峠(約1,205m)、それにずっと東に杖立権現越(約650m)などがある(カッコ内は峠の標高)。雲早隧道の名の元になった雲早山(くもそうやま、くもさやま)は正確には主脈上に山頂を持たないが、近い存在の山だ。
主脈上に峠がある車道の峠道は川成峠など他にもあるようだが、今回の旭丸峠を掲載すれば、主要な峠道はほぼ掲載できたことになると思っている。
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<月ヶ谷温泉(余談)>
昨日は上勝町の大字福原字平間(ひらま)にある月ヶ谷(つきがたに)温泉・月の宿に宿泊した。上勝町では最も知られた温泉で、月の宿は確か公営の宿である。勝浦川を挟んで対岸には月ヶ谷温泉村キャンプ場がある。
神山町には道の駅「温泉の里・神山」があり、そこでパンフレットの神山町観光ガイド(マップ)を手に入れることができた。この上勝町には情報入手できる道の駅などがない。勿論、鉄道の駅もない。代わりに宿で上勝町観光マップのパンフレットを頂いた。ただ、残念ながらそのマップに旭丸峠や旭丸の記載はなかった。
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月ヶ谷温泉村キャンプ場 (撮影 2015. 5.27) 月ヶ谷温泉の宿より見る
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月ヶ谷温泉 (撮影 2015. 5.27) 月ヶ谷温泉村キャンプ場より見る
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<横峯橋>
地形的には勝浦川沿いは全て旭丸峠の領域だと言えなくもない。ただ、紀伊水道に面する河口から遡っていては切りがない。八重地トンネルへと向かう県道(主要地方道)16号・徳島上那賀線との分岐点から始めようと思う。そこは横峯橋(横峰橋、よこみねばし)である。
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県道16号を八重地トンネル方向に見る (撮影 2015. 5.27)
右に流れる勝浦川に横峯橋が架かる
前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 1997. 9.27)
最初に旭丸峠を越えた時
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<前回の旅(余談)>
旭丸峠は今回(2015年5月)が2回目だ。前回(1997年9月)もこの上勝町側から登った。南に接する那賀町(旧相生町)から美杉峠(地理院地図)を越え、続いて旭丸峠を目指した。それは旅に出て8日目のことで、用意して来た写真フィルムは既に底を尽いていた。後はカメラに装填された24枚撮りのフィルムだけである。それももう残り少ない。
旅では主要な分岐を写真に撮ることとしていた。旅の記録としてである。県道16号から分岐する横峯橋の手前でも、ジムニーを路肩に停め、写真を一枚撮った(左の写真)。残り少ない貴重なフィルムである。旭丸峠を写真に収める為にも、温存しなければならない。
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<剣山スーパー林道の案内>
横峯橋を渡る方向には「剣山スーパー林道」と大きく宣伝されている。上勝町に於いても一つの観光資源となっていて、パンフレットにも紹介されている。旭丸峠へは基本的にこの剣山スーパー林道を登って行く。
<殿川内>
また「殿川内」(とのかわうち、とのかわち)とも道路看板に出ている。文献では「殿河内」(とのがわうち)とも書かれていた。但し、この地名は一般の道路地図や地理院地図にも記載が見られない。漠然と勝浦川最上流部に位置するのだろうとは想像できる。地名ではないが、「殿川内渓谷」(とのかわうち けいこく)なら上勝町観光マップでも紹介されている。勝浦川本流における景勝地だ(後述)。
<殿川内谷>
また文献の旭ノ丸峠の項では、「殿川内谷を上りつめた」所に峠があるとしている。殿川内谷とは勝浦川の支流かとも思ったが、殿川内渓谷が本流を指すのなら、勝浦川本流の上流部の通称を「殿川内谷」と呼ぶのではないかと思う。
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横峯橋分岐の様子 (撮影 2015. 5.27)
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分岐の看板 (撮影 2015. 5.27) 「殿川内」とある
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<看板(余談)>
道路看板では殿川内を「Tonokawachi」としている。そのまま読めば「とのかわち」である。「川内」は確かに「かわち」と読ませる場合もある。しかし、上勝町のパンフレットの「殿川内渓谷」は「とのかわうち けいこく」としている。
同じような例で、「小河内」(ogochi)は「おごうち」か「おごち」かで迷うったことがあった。こうしたローマ字表記で何とか正確を期すことはできないものかと思う。ただ、殿川内の場合は、「とのかわうち」と「とのかわち」の、どちらも使うようではある。
以前の看板では「福原小学校、福原中学校、上勝西給食センター」などとも案内されていた。過疎化が進む今、学校の統廃合が進んだのではないだろうか。
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以前の道路看板など (撮影 1997. 9.27)
横峯橋より勝浦川上流方向を望む (撮影 2015. 5.27)
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<旭川(余談)>
横峯橋の上より勝浦川上流方向を望むと、川は二股に分かれている。右が勝浦川本流、左はその支流の旭川(あさひがわ)になる。旭川上流部にある八重地(やえじ)の集落は「にほんの里 100選」に認定されているそうだ。
最上流に通じる八重地トンネルは一度だけ越えたことがある。上勝町最西端を抜ける幹線路だが、林の中に通じる寂しい県道であった。
<旭(余談)>
旭川の中・上流域は大字旭(あさひ)になる。福原村(ふくはらそん)の大字になる前の旭村の村域に相当するものと思う。ところで、山名の旭丸も「旭」である。何か関係するのだろうかと思ったりしたが、やはり考え過ぎのようだ。
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八重地(やえじ)トンネル (撮影 1993. 5. 2)
旧木沢村(現那賀町)側の様子
この峠は今後掲載することはないので、
写真だけでも載せてみたいと思ったまで
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八重地トンネルの扁額 (撮影 1993. 5. 2)
扁額には「トンネル」ではなく「隧道」となっている
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<横峯橋の先>
横峯橋を渡った先にもいろいろ看板が立つ。「剣山スーパー林道 1Km」とある。「1Km」は林道起点までの距離だ。今後はこうした剣山スーパー林道の看板が要所要所にあり、それに従って進めばいい。
剣山スーパー林道方向に「神山 36Km」ともある。旭丸峠を越え、神山町神領の本野間や西野間に至るまでの距離だろう。尚、本野間には神山町役場があるのでそこまでの距離か。一方、旭川を少し遡った所には上勝町の役場が立地する。
この36Kmとは両町の役場を結ぶ距離に等しい。まあ、町役場間の移動に旭丸峠を使う者は居ない。それにしても、長い距離を接するお隣同士の上勝町と神山町だが、その間を行き来する道がほぼ旭丸峠一本になる。
余談だが、横峯橋の袂より剣山スーパー林道方向とは逆の勝浦川左岸を下流方向に進む道には、「徳島(旧道)42Km」とある。改めて考えてみると、鮎喰川と勝浦川もお隣同士だが、その間には四国山地東部の剣山地が連なる。両町を行き来するには、一旦徳島市まで川を下り、改めて川を遡った方が早いのかもしれない。 |
横峯橋を渡る (撮影 2015. 5.27)
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横峯橋先の看板 (撮影 2015. 5.27)
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<落合集落>
横峯橋以降、道は勝浦川左岸沿いを遡る。住所は大字福原の字川北(かわきた)になるようだ。多分、その中の落合という集落を過ぎる。「落合」とは旭川が合流する地点を意味するのだろう。
道は一部狭い。その沿道には商店や旅館なども並ぶ。人家には洗濯物が干されていたりして生活感も満載だ。こんな所をのんびり旅するのも嫌いではない。しかし、先を急がなければなかなか旭丸峠は越えられない。
話もこうして余談ばかりでは、峠道を最後まで書き切れるか、体力的に不安である。
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落合集落へ (撮影 2015. 5.27)
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落合集落の様子 (撮影 2015. 5.27)
狭い道
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<林道起点>
道は集落を抜け、右に上勝中学校への道を分けると、その先は大字生実(生実)になる。暫く行くと勝浦川を角屋橋(かどやばし)で右岸へと渡る(地理院地図)。その橋の袂に大きく「スーパー林道起点」の標柱が立つ。終点の木頭村まで87.7Kmとある。長大な林道だ。
今回は道路情報の看板に「通り抜けできません」と出ていた。しかし、「雲早トンネル手前で通行止、雲早山登山口へはいけます」ともあり、どうやら神山町側には抜けられそうだ。
剣山スーパー林道はとても長く険しいので、途中で通行止となることも多い。あまり観光用の道路として積極的にピーアールもできないだろう。特に町境から雲早隧道への区間は、ツーリングマップ(ル)にも「スーパー林道内で最も荒れている」とコメントされていた。今回の通行止もその区間に当たる。
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前方に角屋橋 (撮影 2015. 5.27)
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スーパー林道起点 (撮影 2015. 5.27)
左に古い橋が残る
起点の看板 (撮影 2015. 5.27)
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<林道開通>
文献によると、剣山スーパー林道は昭和47年着工、総工費240億円、昭和60年7月開通とのこと。幅4.6m・延長87.7Km。
但し、スーパー林道開通以前に落合から殿川内までは何らかの道が通じていたものと思う。また、殿川内から峠を越えて神山町の野間に通じる林道野間殿川内線が、昭和39年から工事を開始、昭和49年に開通している。剣山スーパー林道の上勝町側の区間は、それらの道を改修して繋げたようだ。この起点の角屋橋から峠まで約18.4Kmとのこと。
<森林鉄道(余談)>
ところで、現在の角屋橋の直ぐ下流側に鉄骨によるトラス構造の古そうな橋が架かっている。ちょっと見は鉄橋のようだ。巾2.5mと狭い。単に古い橋だと思った。
ところが文献によると、明治42年(1891年)、落合から殿河内(とのがわうち)の奥(ウツロ)まで全長11,627kmの森林鉄道が開通したとある。落合集落内に「殿河内鉄道の碑」というのがあるようだが、その森林鉄道のことであろう。古い橋は森林鉄道の鉄橋の跡かとも想像した。
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角屋橋を渡る (撮影 2015. 5.27)
左隣に古い橋
<林道起点以降>
スーパー林道などと言っても暫くは勝浦川沿いに点在する集落を繋ぐ生活路である。沿道にもポツポツ人家が見られる。
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勝浦川右岸沿い (撮影 2015. 5.27)
人家が点在する
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<傍示への分岐(余談)>
途中、傍示(ほうじ)への分岐がある(地理院地図)。明治22年に傍示村と正木(まさき)村とが合併して高鉾村(たかほこそん)になった。現在の大字傍示は合併前の旧傍示村に相当するのだろう。傍示や正木は現在も大字名として残ったが、「高鉾」は住所表記には登場しないようだ。ただ、郵便局の名で残るらしい。
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右に傍示への分岐 (撮影 2015. 5.27)
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分岐の看板 (撮影 2015. 5.27)
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スーパー林道の看板 (撮影 2015. 5.27)
石本商店の看板も見える
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<町界 16.8Km>
傍示への分岐の袂にも林道案内がある。「神山町界16.8Km」とある。この「町界」とは旭丸峠のことではないが、「16.8Km」はほぼ峠までの距離と思っていい。本格的な峠への登りが始まるまで、これからも勝浦川沿いを延々と走らなければならない。長いアプローチである。
<境と界(余談)>
余計なことだが、これまで町や村の境は町境、村境、町村境などと「境」の字を用いていた。例えば町境は「ちょうきょう」と読むのだろうが、「まちざかい」と訓読みしてもいいと思っていた。
国境を「こっきょう」と言ったり「くにざかい」と言ったりするのと同じことだ。しかし、町界となるとやはり「ちょうかい」と読み、「まちざかい」とはちょっと読み難いように感じる。看板では「町界」となっていたが、以降はこれまで通り「町境」と書こうと思う。
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谷口バス停前 (撮影 2015. 5.27) 石本商店がある
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<谷口>
沿道には民家だけでなく、まだ商店も見られる。谷口(たにぐち)というバス停(地理院地図)に隣接し、一軒の商店があった。喫茶としての営業もするようだった。店の裏手には谷口の集落が広がる。谷口やこれより上流部に位置する住民が利用する店だろう。私たちが訪れた時は営業していなかったが。
谷口を過ぎると勝浦川は流れを90度変え、東西方向に向く。道もそれに倣う。
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<大北橋>
西へ1.5Km程進むと、道は大北橋(おおきたばし)で左岸へと移る(地理院地図)。直進の右岸沿いにはコンクリート舗装の道が分かれる。何かの作業道だろう。地図上では少し上流の川岸で行止りになっている。野宿旅をしていた頃なら、その道に入り込んで野宿ができるような場所があるかどうか、確認したかもしれない。
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右に大北橋を渡る (撮影 2015. 5.27)
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<大北橋の様子>
古い角屋橋に似て、大北橋も鉄橋のようだ。やはり森林鉄道の名残かと思われて仕方ない。
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大北橋の様子 (撮影 2015. 5.27)
鉄橋のよう
大北橋バス停 (撮影 2015. 5.27)
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<大北橋バス停>
大北橋を渡った北側の袂に大北橋バス停がある。待合所となる小屋も立つ。この裏手には大北の集落があるようだ。ただ住所を調べてみると、ここは大字生実の百合出尾(ゆりでお)となっていた。地理院地図に大北はあるが百合出尾はない。大字、字、小字といった大小関係は一般の地図ではなかなか区別がつかない。
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<勝浦川左岸>
古いツーリングマップ(1989年7月発行)では大北橋の先から未舗装となっていたが、私が最初に訪れた時は(1997年9月)、もう少し先まで舗装路が続いた。比較的新しいアスファルト舗装であった。
左岸沿いになってから道と川との距離が近いように感じる。川底が直ぐそこに見える。大きな岩がゴロゴロしていた。
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勝浦川左岸沿い (撮影 2015. 5.27)
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<雄中面への分岐>
小さな支流(名前不明)を渡る手前を、その川沿いに遡る道が分岐する(地理院地図)。看板に「雄中面」とある。ここより上流側の峠付近一帯までは字雄中面(おなかづら)の地になる。多分、雄中面という集落もあるのだろうが、今ではあまり人が住んでいるような気配がない。大北橋バス停以降にバス停も見掛けない。
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右に雄中面への分岐 (撮影 2015. 5.27)
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<丸岩>
この付近、勝浦川には特に大きな岩が多い。大雨の時に上流から流れて来たのかと思った。中に一段と大きな丸い岩があった(地理院地図)。何でも山犬嶽(やまいぬだけ、地理院地図)から落下した岩とのこと。
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川には大石がゴロゴロ (撮影 2015. 5.27)
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大きな丸岩 (撮影 2015. 5.27) 山犬嶽から落ちて来たとか
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右に百間滝への遊歩道 (撮影 2015. 5.27)
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<百間滝付近>
左岸の支流沿いにへ百間滝(ひゃっけんだき)への遊歩道が始まっている(地理院地図)。滝まで200mくらい歩きそうだ。
文献ではこの百間滝やフイゴ滝(地理院地図)は殿川内渓谷(殿河内渓谷)の名勝ということになっている。百間滝がある付近から上流の勝浦川を「殿川内谷」とも呼ぶのかもしれない。
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<殿川内渓谷付近>
大北橋以降、勝浦川左岸沿いを行く道が長く続く。路面は相変わらずアスファルトにはなっているが、一部にアスファルトがはがれて老朽した箇所がそのまま放置されている。路上に落石の小石も目立つ。明らかに道路補修が不足している状態だ。
やはりこれより上流側にはもう人が住んでいないのではないだろうかと思わせる。何となく人気が感じられない雰囲気もある。
勝浦川の谷は広くなったり狭くなったりと、その変化が楽しい。紅葉の季節は見ごたえのある殿川内渓谷になることだろう。
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道の様子 (撮影 2015. 5.27)
谷が開けた箇所(地理院地図)
路面に落石による小石が目立つ
<コンクリート舗装へ>
大北橋から5Km余り走ると、それまでのアスファルト舗装が無骨なコンクリート舗装に変わる(地理院地図)。
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コンクリート舗装へ (撮影 2015. 5.27)
(ドラレコ画像)
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左の写真と同じ場所 (撮影 1997. 9.27)
以前はここより未舗装
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<以前の未舗装区間>
最初に訪れた時は、そこから見事な砂利道になっていた。これこそ剣山スーパー林道だと、残り少ないフィルムを使って記念写真を撮ったのだった。
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以前の未舗装の様子 (撮影 1997. 9.27)
これこそ剣山スーパー林道
未舗装に (撮影 2015. 5.27)
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<未舗装へ>
ただ、2度目に訪れた時も、コンクリート舗装は僅か300〜400mくらい先に進んだだけで、直ぐに元の未舗装路になった(地理院地図)。それでも、僅かずつながら舗装区間を峠方向に延ばそうという意図はあるようだった。
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<右岸へ>
大北橋以降の左岸沿いは6Km余りで終わる。青い鉄骨組の橋が架かっている(地理院地図)。
その手前を右の上流方向に作業道らしき道が分かれる。「土砂流出防備保安林 徳島県知事」、「尾崎林業」などと標柱が立つ。また「立入禁止」と看板があり、バーで通行止。
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殿川内橋手前 (撮影 2015. 5.27)
右に作業道が分岐するが立入禁止
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殿川内橋を渡る (撮影 2015. 5.27)
<殿川内橋>
青い橋の名は殿川内橋(とのかわちばし)であった。現地で「とのかわち」と書かれているので、どうも「とのかわうち」よりその方がより一般的な呼び名なのだろう。また「昭和12年3月竣工」ともある。鉄橋のような橋だが、やはり明治期に敷設された森林鉄道とは無関係か。
<殿川内集落>
橋の名に「殿川内」という地名を使っていることからして、この付近が殿川内なのであろう。あるいは殿川内橋を渡った以降が殿川内の地なのかもしれない。古いツーリングマップには橋を渡った直ぐ先に「廃屋などある」とコメントされていた。私が訪れた時にはもう何の痕跡も見られなかったが、その廃屋とは殿川内集落の人家だったかもしれない。
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「とのかわちばし」 (撮影 2015. 5.27)
「とのかわうちばし」ではなかった
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「昭和12年3月竣工」 (撮影 2015. 5.27)
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支流沿い (撮影 2015. 5.27)
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<殿川内橋過ぎ>
殿川内橋まではほぼ西に向かっていた道は、殿川内橋を渡ると一路支流(名前不明)沿いに南へ向かう。この付近、谷が険しいのか勝浦川本流沿いに道が通せなかったようだ。
<林道分岐の看板>
支流右岸を少し遡ると、分岐を示す道路看板が出て来る。剣山スーパー林道に入ってからこうした看板は珍しい。左が林道、右がスーパー林道で行先は神山町とある。この支流沿いの区間は未舗装だった。
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分岐の看板が立つ (撮影 2015. 5.27)
道は未舗装
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分岐を示す看板 (撮影 2015. 5.27)
左は割谷林道、右がスーパー林道の続き
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<林道割谷線分岐>
殿川内橋から僅か300mでまた橋が出て来る(地理院地図)。支流を左岸に渡る。その手前を支流の上流方向に林道割谷線が分岐している。「割谷」というのがこの支流の名かもしれない。
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支流を渡る (撮影 2015. 5.27)
その手前を左に林道割谷線が分岐
<林道割谷線>
林道分岐にはしっかりした林道標柱が立っている。この分岐が林道割谷線の起点になるようだ。道も比較的しっかりしている。地理院地図で見る限り、割谷線はどこにも抜けていない。森林開発用の林道かとも思うが、場合によってはこの道の先に殿川内の人家があった可能性もある。
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林道割谷線起点 (撮影 2015. 5.27)
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分岐に立つ林道標柱など (撮影 2015. 5.27)
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<支流を左岸へ>
支流の左岸からアスファルト舗装が始まった。比較的新しい。支流沿いから再び勝浦川本流右岸沿いを遡る。
<金刀比羅宮>
本流沿いになってまたコンクリート舗装に変わった。初めて来た時もこの付近に一部コンクリート舗装が見られた。
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支流を左岸に渡る (撮影 2015. 5.27)
この先アスファルト舗装
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<金刀比羅宮>
コンクリート舗装になって間もなく、鳥居が見え、奥に神社も立っていた(地理院地図)。近くに立つ看板には「殿川内氏神金刀比羅宮」とあった。
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鳥居が見える (撮影 2015. 5.27)
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奥に神社が立つ (撮影 2015. 5.27)
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<殿川内集落?>
今はもう近くに人家などはないが、こうして氏神となる神社が祀られることからして、この付近が殿川内の中心地集落ではなかったかと想像する。
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神社の様子 (撮影 2015. 5.27)
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金刀比羅宮の看板 (撮影 2015. 5.27)
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<民家?>
神社から更に100mあまり進むと、何かの工事中であった。その付近から道の両側に何軒かの建物が並ぶ。かなり時代を経た木造建てで、一部は朽ち掛けていた。使われている様子はほとんどない。
倉庫や作業小屋の類に見えるが、中には民家のような佇まいの家屋も見られる。ずっと下流の谷口集落以降、沿道にまとまった家屋が並ぶ事がなかったので、ここに来てちょっと意外な気がした。
やはり、かつてこの付近に殿川内の集落があったのだろうと思わせる。こうした奥地の山間部でもかつては人の営みがあった。
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何かの工事中 (撮影 2015. 5.27)
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建物が見える (撮影 2015. 5.27)
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道の様子 (撮影 2015. 5.27)
真新しいコンクリート舗装が続く
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<殿川内集落以降>
道は勝浦川に沿って北上し、続いて川の流れに従って西へと向かう。勝浦川もその源流となる峰までもう1.5Km程と迫っているのに、まだその谷はある程度の広さを維持している。狭苦しい雰囲気がない。
路面は真新しいコンクリート舗装が延びていた。最初に来た時は、道が西を向く付近から未舗装だった。
剣山スーパー林道の前身となる林道野間殿川内線は、この殿川内を上勝町側の起点として開削された。正確な起点は不明だが、この勝浦川本流沿いには元から道が通じていたような気がする。
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道の様子 (撮影 2015. 5.27)
道はほぼ西を向く
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作業小屋が立つ(地理院地図) (撮影 2015. 5.27)
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源流部の橋を渡る (撮影 2015. 5.27)
しかし、本流ではなかったようだ
この少し下流に蛇縁という小さな滝が架かる
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<勝浦川源流域>
剣山スーパー林道起点となる角屋橋からでも約15Km遡って来た勝浦川が、やっとその終焉を迎える。道は勝浦川最上流部を横切るように登って行く。
すると道がヘアピンカーブで開けた谷の橋を渡って行く(地理院地図)。ここが源流かと思ったが、後で調べてみると、どうやら支流らしかった。この橋の少し下流に蛇淵と呼ばれる小さな滝が架かるそうだ。
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<峠方向を望む>
道は支流を巻いて北を向く(地理院地図)。以前はそこで峠方向に登る道筋が望めた(下の写真)。山肌に土が露出した箇所が多く、なかなか険しい様相だった。ただ、2度目に来た時は沿道の木々が成長し、見通しが悪くなっていた。
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峠方向を望む (撮影 1997. 9.27)
この時、道はまだ未舗装
沿道の木々も少なく、見通しが良かった
道筋の拡大 (撮影 1997. 9.27)
なかなか険しい
<源流の峰を望む>
この勝浦川の源流部では、道は複雑に屈曲する。また一時期、西を向いた(地理院地図)。すると、直ぐ前方に勝浦川源流の峰が望める。直線距離で500m余りである。こんな稜線直下まで比較的はっきりした谷が延び、峰を見上げられるというのも珍しいのではないだろうか。
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前方に源流の峰を望む (撮影 2015. 5.27)
道は西を向いている
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<谷を詰める>
続いて2箇所ほど小さな谷を詰める。一つ目は砂防ダムが築かれていて、岩だらけのなかなか険しそうな谷が登っていた(地理院地図)。
次は最も道が奥深くに到達した地点で(地理院地図)、「嫁滝」という看板が立っていたようだ。こちらの方が勝浦川本流かと思うが、まあ、この付近に流れ下る幾つかの沢水が集まり、勝浦川が始まっている訳である。
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源流を横切る (撮影 2015. 5.27) 砂防ダムが見える
(ドラレコ画像)
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こちらが本流か? (撮影 2015. 5.27)
嫁滝という看板が立つ (ドラレコ画像)
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<峠への登り>
やっと勝浦川沿いから解放され、峰の南斜面を登りだす。以前は未舗装を残していたと思うが、今はほぼ舗装済みの路面になっている。それでも山岳道路の雰囲気は満点だ。東から南の方面へと視界が広がる。旭丸峠の上勝町側で一番楽しい区間だ。
勝浦川源流部から僅か600m余り進んだだけで、もう大きな視界が得られる。すると、道の傍らに「虎蔵の滝」という看板がポツンと立っていた(地理院地図)。
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視界が広がる (撮影 2015. 5.27)
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「虎蔵の滝」の看板が立つ (撮影 2015. 5.27)
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<虎蔵の滝>
勝浦川上流域には滝や淵が多い。上勝町の観光パンフレットにもいくつか紹介されている、しかし、この「虎蔵の滝」というのはどのガイドマップにも出て来ない。
看板の脇から下の方を望むと、勝浦川右岸沿いに通じるスーパー林道の屈曲した道筋が望める(下の写真)。また、足元の急な斜面を険しい谷が下り、その途中に何段かの砂防ダムも築かれていた。水は枯れて流れは見られなかったが、多分その谷のどこかに「虎蔵の滝」があるのだろう。
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看板脇より下を望む (撮影 2015. 5.27)
砂防ダムが見える
<勝浦川源流部の峰>
「虎蔵の滝」の看板の位置から、辛うじて勝浦川源流部の峰の一部が望める(下の写真)。急な谷が下っている様子が見える。それも最源流の一つだ。丁度その上部に剣山スーパー林道が通じている。ただ、左手に見える道筋は、スーパー林道から分岐する枝道で、本線ではない。
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勝浦川源流部の峰を望む (撮影 2015. 5.27)
右手の斜面を急な谷が下る
その上部にスーパー林道が通じる
<勝浦川源流部に通じるスーパー林道(余談)>
剣山スーパー林道は旭丸峠の手前より勝浦川源流の峰の稜線上を西に向かう。その途中、源流の谷の真上を通過する(地理院地図)。足元よりガレた急な崖が下っている。なかなか険しい様子だ。
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勝浦川源流の谷を望む (撮影 2015. 5.27)
稜線上に通じるスーパー林道から
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源流の谷の上部 (撮影 2015. 5.27)
急な崖が足下に下る
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源流の峰からの眺め (撮影 2015. 5.27)
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<源流部からの眺め>
また、そこから旭丸峠に登るスーパー林道の道筋が見える。道筋の奥にそびえるややとんがった山は柴小屋山だと思う。
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旭丸峠に登るスーパー林道の道筋 (撮影 2015. 5.27)
源流の峰から望む
旭丸を望む (撮影 2015. 5.27)
中央奥のこんもりした山
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<旭丸を望む>
少し見る方向を変えると、峠方向も望める。峠そのものは山陰に隠れているが、その手前の標高1,312mの方の旭丸(旭ノ丸)が確認できる。峠名の元となった山である。
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<峠への登り(続き)>
峠道に戻って峠を目指す。勝浦川沿いを離れてから峠まで4Km程度の道程だ。その間、なかなか楽しい峠道が続く。コンクリート擁壁や岩が露出した箇所を過ぎる。路面には所々に落石が転がっている。そうした険しさを満喫する。
ただ、路面は完全舗装で要所々々にはガードレールが完備され、それ程危険は感じさせない。それでも周囲は険しい地形であることに変わりなく、荒天時などは様子は一変することだろう。
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峠への登りの様子 (撮影 2015. 5.27)
落石が転がる
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<眺め>
南斜面に通じた道は終始明るい雰囲気だ。ただ、やはり沿道の木々が成長していて、思った程大きくは景色が広がらない。峠に近付くとかえってその傾向は尚更で、景色はなるべく道の途中で堪能するといいようだ。
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道の途中からの景色 (撮影 2015. 5.27)
やや木々が多い
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前の写真とほぼ同じ景色 (撮影 1997. 9.27)
当時はもう少し見晴しが良かったかも
峠方向を望む (撮影 2015. 5.27)
切り通しが見えるが、そこは本来の旭丸峠ではない
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<峠直前>
いよいよ前方に切り通しが見えて来る。そこが旭丸峠だと勘違いするのも無理はない。如何にも峠らしい佇まいだ。しかし、見えているのは剣山スーパー林道が町境を抜ける箇所で、本来の旭丸峠などではない。
<分岐の看板>
その切り通しを前に分岐を示す看板が出て来る(下の写真)。左折するのがスーパー林道の続きで、行先は「土須峠(どすとうげ)、国道193号」とある。スーパー林道は雲早隧道を越える国道193号に接続する。
一方、分岐を直進する方向は「野間林道」とあり、行先は「神山町」となっている。そちらに上勝町から神山町に越える本当の旭丸峠がある。
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分岐の看板が立つ (撮影 2015. 5.27)
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左折は土須峠・国道193号 (撮影 2015. 5.27)
直進は野間林道を神山町へ
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<町境>
一応、スーパー林道が上勝町と神山町の境を越える箇所について触れてみる。その町境は西の旭丸(1,312m)と東の1,228mのピーク(地理院地図)との間のなだらかな稜線を越えている。標高は約1,205m。元々稜線の南(上勝町)側に通じていた林道野間殿川内線から分岐する形になっている。
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町境の上勝町側の様子 (撮影 2015. 5.27)
左奥に下る道は上勝町市街へ
右に進むのがスーパー林道の続き
この手前が旭丸峠方向
左奥の山が1,312mの方の旭丸
<道標>
分岐周辺はさっぱりしている。ポツンと道標が立つ。「ようこそ すだちと梅の里 神山へ」とある。ただ、ここはまだ神山町ではない。もう少し東に進んで旭丸峠を越えなければならない。その神山町方向に「神山町役場へ 17Km」ともある。峠を下り切った本野間に役場があるので、その17Kmはここより先の峠道の距離にほぼぼ等しい。
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分岐に道標が立つ (撮影 2015. 5.27) 右の切り通し方向がスーパー林道
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道標 (撮影 2015. 5.27)
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分岐から旭丸峠方向を見る (撮影 2015. 5.27)
この左が切り通し
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道標 (撮影 2015. 5.27)
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分岐からの眺め (撮影 2015. 5.27)
あまり視界は広がらない
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<分岐からの眺め>
本来の旭丸峠からは上勝町側には全く視界が広がらない。上勝町を眺めるのはこの町境のある分岐が最後になる。しかし、やはり草木が多くて期待する程の景色は得られない。
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<切り通しの様子>
分岐から北の神山町方向を見ると、そこに浅い切り通しが通じる。神山町側に視界が抜けていて、気持ちがいい程だ。
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上勝町側から見る町境の切り通し (撮影 2015. 5.27)
正しく峠そのものだ
全面通行止の看板 (撮影 2015. 5.27)
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<全面通行止(余談)>
訪れた時は切り通しの手前に「全面通行止」の看板が置かれていた。「那賀町側雲早トンネル1Km手前路肩崩壊のため通行できません (雲早山登山道までは通行可能) 神山町建設課」とあった。ここから剣山スーパー林道を西の雲早隧道方面に向かう途中での通行止だ。ダメと知りつつパジェロ・ミニを走らせたが、やはり路上にコーンが置かれていてそこから先には進めなかった(地理院地図)。土須峠(地理院地図)の手前僅か400mの地点だ。土須峠はまだ訪れたことがなかったので、非常に残念な思いをした。
この町境から雲早隧道までの区間は、剣山地の主脈上を行くので、スーパー林道の中でも特に眺めがいい。その一方、険しい未舗装路になっていて今回の様に通行止となることもあるようだ。剣山スーパー林道はその長さを誇るが、全区間を通しで走るのは難しい。
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上勝町側から見る町境の切り通し (撮影 1997. 9.27)
この時は上勝町側もまだ未舗装
<初めての町境(余談)>
初めてこの町境を訪れた時、この切り通しを目の前に、峠に到着したと錯覚しても無理はない。しかし、切り通しを抜けるスーパー林道は神山町側には下って行かない。どうもおかしい。旭丸峠は別にあるのだろうか。
それでもこの切り通しを写真に撮らない訳にはいかなかった。24枚撮りのフィルムももう残り2枚だ。それを使って切り通しを写真に収めたのだった。
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神山町側から見る町境の切り通し (撮影 1997. 9.27)
これが24枚目の写真フィルム
神山町側から見る町境の切り通し (撮影 2015. 5.27)
前の写真とほぼ同じ場所
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神山町側から見る町境の切り通し (撮影 2015. 5.27)
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<町境の看板>
切り通しを神山町側に少し入った所に町境を示す看板が立っている。「神山町」と「上勝町」の看板が背中合わせに掛かっていて、その下に次のようにある。
直物や鳥獣を大切にしましょう
捕獲すると処罰されます 徳島県
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神山町の看板 (撮影 2015. 5.27)
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神山町の看板 (撮影 2015. 5.27)
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町境と言ってもスーパー林道は神山町の麓には降りて行かない。単に境だというだけで、観光案内などの看板を立てたところで用をなさない。こうしたシンプルな町境の看板だけで充分である。尚、以前の看板と比較しても全く変わらないようだ。ただ、老朽化して文字がくすんでしまった。
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上勝町の看板 (撮影 2015. 5.27)
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上勝町の看板 (撮影 2015. 5.27)
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以前の神山町の看板 (撮影 1997. 9.27)
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以前の上勝町の看板 (撮影 1997. 9.27)
看板の文字はくっきりしている
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<神山町側の作業道>
町境の神山町側にはスーパー林道とは別の道が始まっている。コンクリート舗装で、麓方向へと下る。ただ、「この先 通行止」と看板が立ち、どこにも抜けられない車道のようだ。何かの作業道であろう。
ただ、ここは左右山(そうやま)谷川の上流部に当たり、もしかしたらその谷川沿いに道が通じていたのではないかと想像したりする。そうなればこの町境も立派な峠である。しかし、それは考え過ぎのようだ。
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左がスーパー林道、右は作業道 (撮影 2015. 5.27)
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作業道に立つ看板 (撮影 2015. 5.27)
「この先 通行止」とある
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<神山町側の眺め>
切り通しを抜けた先では神山町側の景色が広がる。鮎喰川左岸の峰々が望める。その向こうには吉野川が流れている筈だ。晴れ晴れした気分になる。訪れた時は天候も良く、讃岐山脈まで見えているのではないかと思った。
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町境から眺める神山町側の景色 (撮影 2015. 5.27)
一方、麓の鮎喰川沿いに点在する神山町の集落の様子はあまり見えない。僅かに樹間から麓の景色が覗いた(右の写真)。どうやら下分今井付近のようだった(地理院地図)。
最初に訪れた時もこの風景を眺めた。写真フィルムは既定の24枚目を終わっていたが、まだ25枚目を写すことができた。それで景色を前にシャッターを切った。現像してみると端が少し欠けていたが、どうにか景色を残すことができた。
現在から比べると、かえって視界を遮る木々が多いように思う。作業道が造られるなどの何か変化があったのかもしれない。
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景色の望遠 (撮影 2015. 5.27)
神山町下分今井付近を見る
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前の写真とほぼ同じ景色 (撮影 1997. 9.27)
この時はやや天候が悪かった
旭丸峠方面から分岐を見る (撮影 2015. 5.27)
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<町境前の分岐から峠へ>
分岐の先、峠までは僅かに350mくらいだ。道は剣山スーパー林道から林道野間殿川内線になる。看板に野間林道ともあったが、旭丸峠を越えてからが本来の野間林道だろう。路面も真新しいアスファルトから無骨なコンクリートに変わった。
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<完工之碑>
さっさと峠へ急ぎたいところだが、分岐から60m程進むと、この峠道に関して重要な一基の石碑が立っている。木陰に埋もれ、漫然と車を運転していると見逃しかねない存在だ。その石碑は「完工之碑」と題されている。
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分岐方向を見る (撮影 2015. 5.27) 右手に完工之碑が立つ
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完工之碑 (撮影 2015. 5.27)
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<碑文>
碑文の内容はほぼ以下のようなものである。
角屋橋から野之?まで
自昭和27年至昭和30年 奥地林道5,018米 4米
野之?から殿川内墓地床まで
自昭和37年至昭和38年 1号林道 2,765米 4米
自昭和39年至昭和41年 基幹林道 2,569米 4米
自昭和42年至昭和43年 大幹線林道 1,518米 4米
殿川内墓地床からごと岩(旭丸峠)まで
自昭和43年至昭和47年 大幹線林道 6,881米 4米
以上総延長18,751米(延長)
昭和48年9月20日
??林道殿川内線開発期成同盟会
他に歴代の県知事・町村長・町村議長、世話人、工事施工者、期成同盟会会員芳名などが列記されている。道の延長の後の「4米」とは幅員であろうか。
「角屋橋」(かどやばし)は前述のように現在の剣山スーパー林道の起点となる橋である。
「野之?」の「?」の部分がはっきり読めなかったのだが、角屋橋から約5Kmの地点とは、前出の百間滝遊歩道入口付近になる。
1号林道は角屋橋から累計すると7,783m(地理院地図)。
基幹林道は同じく10,352m(地理院地図)。この林道は殿川内橋を渡っていたと思うが、橋の竣工は昭和12年3月とあった。よって、林道開通以前に殿川内橋は架かっていたことになる。
「殿川内墓地床」を終点とする大幹線林道は同じく11.870m。峠付近からは約6.9Km手前になり、殿川内氏神金刀比羅宮の少し先、沿道に少し建物が並ぶ辺りと思われる(地理院地図)。
明治期に開設された森林軌道は、昭和43年にこの大幹線林道が殿川内まで通じた為、廃止されたとのこと。すると森林鉄道は今の殿川内橋を渡っていたのかもしれない。やはりあの橋は元は鉄橋だったのか。
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<林道殿川内線>
碑文では道の名は奥地林道、1号林道、基幹林道、大幹線林道などといろいろ呼ばれているが、最後に「林道殿川内線開発期成同盟会」とある。この「完工之碑」とはすなわち「林道殿川内線」の完工を記念する石碑であろう。
ただ、碑文には角屋橋を起点にする林道も記されている。「林道殿川内線」と謳った場合、殿川内(墓地床)から先の道を指すように思われる。神山町側を野間線、上勝町側を殿川内線と呼び、全線合わせて林道野間殿川内線となるものと思っていた。
<林道野間殿川内線との関係>
文献では林道野間殿川内線は昭和39年に工事を開始したとあるが、基幹林道の工事と重なる。また、開通は昭和49年とのことで、大幹線林道の開通の2年後となる。林道殿川内線より林道野間線の開通の方が遅かったのであろう。
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<剣山スーパー林道との関係>
剣山スーパー林道は昭和47年に着工、昭和60年7月に開通したそうだ。林道殿川内線が峠まで開通したのと同時にスーパー林道に着手している。
スーパー林道の工事区間は長く、一概には言えないが、旭丸峠が開通する以前にスーパー林道は町境を越えていた可能性がある。これまで旭丸峠の峠道が既に通じ、それを元にスーパー林道が造られたと思っていたが、旭丸峠の方が後になるのかもしれない。
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町境前の分岐から旭丸峠方面を見る (撮影 2015. 5.27)
稜線上へと登る階段がある
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<ごと岩(旭丸峠)>
林道殿川内線の一部で最後に完成した大幹線林道の区間は、殿川内墓地床から「ごと岩(旭丸峠)」までとある。この「ごと岩」とは何か。町境から東側の稜線上がややゴツゴツしている。その辺りを言うのかもしれない。
町境前の分岐近くから稜線上へと登る階段が設けられていたが(左の写真)、それを行くと岩の上に出るのかもしれない。丁度完工之碑の背後に当たる。
<石碑の位置>
林道の完工之碑はスーパー林道の町境でもなく旭丸峠でもない、中途半端な位置に立っている。やはり林道殿川内線が完成した時は、まだ旭丸峠は存在していなかったのではないだろうか。神山町側の林道野間線が峠まで到達していなかった。
繋がる相手のない林道殿川内線は、今の林道完工之碑の前辺りで行止っていたのではないだろうか。
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<峠直前>
道は剣山地の主脈頂上の直ぐ南側を350m程行く。残念ながら林が並んで視界はない。それでも空が近く、高度感がある。
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<峠に着く>
水平移動のまま林が途切れ、沿道に広々とした草地が広がる。そこが旭丸峠なのだが、何とも峠に到達したという実感が持てない。
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旭丸峠(再掲) (撮影 2015. 5.27)
神山町方向に見る
<峠の標高>
標高はスーパー林道の町境と殆ど差がなく、約1,205mだ。文献では旭ノ丸峠の標高を1,190mとしているが、どこかに旧峠があった訳でもないだろう。
<峠の様子>
峠は非常にゆったりした広い鞍部を越えていて、明確な切り通しが形成できていない。こうしたことが旭丸峠を峠らしく見せていない理由となっている。
それでも上勝町と神山町との境となる峰を越えていることは確かで、ここが峠であることは間違いない。
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峠を上勝町方向に見る (撮影 2015. 5.27)
どこが峠だろうかと思わせる
<林道看板>
峠から上勝町方面を見ると、側らに林道看板が立っている、「林道大川原旭丸線終点 幅員4.0m 延長 m」となっている(延長は未記入)。道の起点となり、舗装がコンクリートとからまたアスファルトに変わる箇所でもあり、この辺りがピンポイントに峠なのかもしれない。
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峠より上勝町方向を見る (撮影 2015. 5.27) 左手に林道看板が立つ
舗装の境がある
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林道大川原旭丸線の林道看板 (撮影 2015. 5.27)
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<林道大川原旭丸線>
尚、峠を通るこの道は野間線か野間殿川内線の筈だが、大川原旭丸線とはどういう訳だろうか。この旭丸(峠)が終点なら、大川原を起点するようだ。稜線上の旭ヶ丸の少し先に大川原高原(地理院地図)があるが、そこと結ぶ道なのだろうか。延長は未定になっている。未開通であることも確かだ。
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峠の様子 (撮影 2015. 5.27)
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<「氷小屋跡への道」の碑>
峠の神山町側の広い草地の中にポツンと小さな石碑が立つ。「氷小屋跡への道」という表題になっている。
<阿波名勝案内>
文献によると「阿波名勝案内」に次のように書かれているそうだ。
高根山は神領村の西南隅にそびえ、名西郡中第一の高峰なり、麓より登ること一里二十二丁。その頂を旭丸と云い、眺望佳絶なり。
廃藩以前までは氷木屋ありて堆雪を坑中に蔵め、毎年盛夏の候、藩主に献上するを常とす。山腹に高根集落あり、多田(源)満仲の息女円覚尼の開基と称する悲願寺は今なお満仲の位牌をまつれり。
堂の後より清水わき出し、これを灌漑の用に供し、さらに流れて雨乞い瀑布(滝)の源流となる。
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<氷木屋>
氷木屋(氷小屋)があった正確な位置は分からないが、高根山の頂きの旭丸の付近にあったとのこと。あるいはこの「氷小屋跡への道」の碑が立つ付近か。
<神山町側の旧道の存在>
少なくとも氷を運搬する為に神山町側の山腹にある高根悲願寺付近から旭丸へと至る道が、廃藩以前の江戸期には存在したようだ。
ただ、ここでも旭丸がどこなのか気になる。高根山が「名西郡中第一の高峰」となると、1,312mのピークの方である。しかし、「氷小屋跡への道」の碑が立つこの旭丸峠は、1,232mのピークに近い。
また、「旭丸」とは山の頂上ではなく、道の頂上で、現在の旭丸峠のような広々とした地点を指すような気もする。
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「氷小屋跡への道」の碑がポツンと立つ (撮影 2015. 5.27)
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「氷小屋跡への道」の碑 (撮影 2015. 5.27)
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<「氷小屋跡への道」の碑文>
参考まで碑文を以下に転記する。
「氷小屋跡への道」の碑
その昔お年寄りからこうねの上に
氷小屋があると聞いた。平成四年十
二月確認。容量約四立方メートルの
縦穴式石積みであった。氷保存と輸
送立証のため、翌一月三十一日に三
十キログラムの天然氷を貯蔵す。七
月十七日掘り出し、夜間に神山 勝
浦町境の尾根筋を中津峰まで縦足し
徳島城鷲の門までの四十四キロメー
トルを人力で運搬す。高根山悲願寺
の在所に、氷を保存し、夏にお城ま
で運んだ一族がいた。当会解散記念
に観察路を開設す。ここに、四国で
の藩政時代で現存する唯一の氷室跡
を次代に残す。
平成十六年三月 山一五の会
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<神山町側の旧道の道筋>
碑文では道筋について記述がない。しかし、ここに石碑を建てたこと、このゆったりした鞍部の直下に高根悲願寺が立地することからすると、石碑の裏手辺りから高根悲願寺に至る道が下っていたような気がしてならない。そこで神山町側の谷を覗き込んでみたが、道らしい痕跡は確認できなかった。
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<旧峠>
また文献の「旭ノ丸峠」の項に、「峠道は、神山町の寄井・南山・左右山から登る道が、山腹にある高根悲願寺の上で一緒になり、上勝町側の殿川内谷を上りつめた道と、峠でつながっていた」、としている。すなわち上勝町側にも古くから何らかの道が通じ、「旭丸」は峠の体を成していたことになる。林道野間殿川内線が開通するまで「旭丸峠」という峠名は存在しなかったかもしれないが、「旭丸」自身が山の名であり、峠を示す名でもあったように思う。
ただ、とくしま電子図書館・「阿波学会研究紀要」の中の文献「神山町の峠道」には、「旭ノ丸」という山は1,232mのピークの所に出て来るが、そういう名の峠の記載はない。旭(ノ)丸は氷木屋への道として使われたが、上勝町側との行き来に使われる峠道としての役割は殆どなかったのではないだろうか。
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<2つの記念碑>
峠のやや神山町側に2基の記念碑が、道を挟んで対面して立つ。一つは「白樺植樹30周年記念」、もう一つは「旭丸峠開鑿記念碑」と題されている。写真写りが悪く、残念ながら碑文の内容はあまりはっきりしない。白樺植樹の方は、「あいつどひ 記念に植えし白樺の 伸びいちじるし 見つつ???」、とあるようだ。
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峠の神山町側の様子 (撮影 2015. 5.27) この左に「白樺植樹30周年記念」、
右に「旭丸峠開鑿記念碑」が立つ
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「白樺植樹30周年記念」 (撮影 2015. 5.27)
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「旭丸峠開鑿記念碑」 (撮影 2015. 5.27)
碑文の内容は殆ど読めなかった
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<旭丸峠開鑿記念碑>
旭丸峠開鑿記念碑は昭和49年4月の建之になる。それだけは読み取れた。林道殿川内線の完工之碑が昭和48年9月20日の建之なので、ここでも旭丸峠の方が時期的に後になる。
それにしても、肝心な峠の開削記念碑の写真が、碑文が読める程度に充分に写っていなかった。初めて訪れた時はフィルム切れで、そもそも峠の写真を全く撮れていない。どうも、この旭丸峠では写真に関して運がないようだ。もう一度撮りに行きたいと思うのだが、もう二度と訪れることはない。
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旭丸峠開鑿記念碑の題字 (撮影 2015. 5.27)
峠から先の道の様子 (撮影 2015. 5.27)
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<神山町へ>
やっと峠を過ぎ、これで神山町側に下れる。歳のせいかどうも話が長くなっていけない。
峠から神山町側に進む道は、以前来た時(1997年9月)には既にアスファルト舗装がされていた。林道の開通は上勝町側より遅かったようだが、舗装化は先だったようだ。道は引き続き稜線沿いで、その直ぐ北側に通じる。
神山町側の斜面が急なので、安全に下れる場所を探すかのように一路西へと進む。空が開けて開放的な雰囲気だが、沿道に草木が多くて景色はそれ程広がらない。これが秋や冬の葉が枯れた季節なら、また様子は随分と違うのだろう。
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<1,232mピーク>
峠から200〜300m進むと、一段と空が開けた箇所に出る(地理院地図)。道は殆ど剣山地主脈の真上を行く。一休憩するには絶好な場所だ。
正面間近にコンモリした山が迫るが、それが例の1,232mのピークである。神山町ガイドマップなどではこのピークを「旭丸」と記している。林道野間殿川内線を走る中では一番目立つ山だろう。高根山最高峰の1,312mピークと「旭(ノ)丸」の名を争う関係だが、こちらの山に軍配を上げたいところである。
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殆ど稜線の上を行く (撮影 2015. 5.27)
左前方の山が1,232mのピーク
<林道大川原旭丸線分岐>
本線は1,232mピークの左(北側)を巻くが、ピークの手前を右(南側)に分かれて行く林道がある。看板が立ち、「林道 大川原旭丸線(終点)」と出ている。峠にも「終点」の看板があったが、この分岐が実質的な終点である。
林道名にある「旭丸」の顔を立てる為、旭丸峠にも同じような林道看板を立てたような気がする。この道が開通すれば、剣山スーパー林道に引き続いて旭丸峠以東の剣山地主脈上を、遥か旭ヶ丸方面までずっと走り通すことができることになる。
壮大な道である。
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右に林道大川原旭丸線が分岐 (撮影 2015. 5.27)
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林道大川原旭丸線の看板 (撮影 2015. 5.27)
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<1,232mピークを巻く>
道は1,232mピークを北に巻きながら、まだ暫く稜線沿いを行く。足下に険しい崖が下る。ガレた箇所もある。大川原旭丸線分岐以降の800mくらいの間、道はなかなか険しい様相を見せる。一方、なかなか楽しい道でもある。ゆっくり走ればそれ程の危険もない。
<柴小屋山登山口>
やっと道は稜線沿いを離れ、山の斜面を下りだす。その最初のカーブの途中から遊歩道が始まっていた(地理院地図)。入口に「四国のみち」の道標が立つ。行先は「大川原高原」となっている。柴小屋山(1,249m)への登山口ともなっていて、「四国のみち」は柴小屋山から先、稜線上を東に進む。
遊歩道入口に続き、柴小屋山方面への分岐がある(地理院地図)。地図を見る限りは柴小屋山手前で行止りになる。
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「四国のみち」の道標 (撮影 2015. 5.27)
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右に柴小屋山方面の分岐 (撮影 2015. 5.27)
草ぼうぼうの道
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<柴小屋休憩所>
柴小屋山登山口の直ぐ後に開けた箇所を通過する。広い路肩があり、車が停められる。「四国のみち」で「柴小屋休憩所」と名付けられている所だ。東屋や「四国のみち」(四国自然歩道)の案内看板などが並ぶ。遠方の眺めがいい立地だが、麓の方までは望めない。
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柴小屋休憩所 (撮影 2015. 5.27)
柴小屋休憩所の様子 (撮影 2015. 5.27)
<枝道分岐>
その後も沿道に「四国のみち」の道標や案内看板を見掛ける。道は野間谷川上流域の谷を蛇行して下る。急な斜面沿いなので、暫くはまだ明るい雰囲気である。
峠から3Km弱下ると右に道が分岐する(地理院地図)。地図を見る限りは野間谷川水域内で行止りとなる枝道のようだ。
<高根谷川水域へ>
神山町側の道筋は複雑だ。下り始めは野間谷川水域だが、途中より高根谷川水域に入る(地理院地図)。但し道を漫然と走っている限りには、どこで分水界の尾根を越えたか分からない。
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右に枝道が分岐 (撮影 2015. 5.27)
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<悲願寺分岐>
峠から下ること4Km弱、この峠道で最も重要な分岐に至る(地理院地図)。
高根谷川最上流の川筋に出た所で道は小さな流れを渡る。その先、本線はまた橋を渡り返して右岸側へと戻って行くが、その手前を反対の左岸方向へと林道が分かれて行く。その道は山腹に立地する高根(山)悲願寺(ひがんじ)に至る。
分岐に立つ看板では「悲願寺 3Km」と案内されている。 |
左に悲願寺方面への道が分岐 (撮影 2015. 5.27)
右が本線
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分岐に立つ看板 (撮影 2015. 5.27)
本線方向は「神山、徳島方面」
分岐する道の方は「悲願寺 3Km」とある
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<分岐の様子>
分岐の角には古そうな「四国のみち」の道標が立つ。本線方向は「野間」、分岐する道にはやはり「悲願寺」である。
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悲願寺への道の様子 (撮影 2015. 5.27)
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分岐に立つ「四国のみち」の道標 (撮影 2015. 5.27)
左は「悲願寺」、右は「野間」
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<旧道は?>
文献によると、元の峠道は寄井(地理院地図)・南山(地理院地図)・左右山(地理院地図)の3方向から登り、高根悲願寺の上で一緒になって峠に至っていたそうだ。
この分岐は悲願寺の上部に位置し、ほぼ峠直下に流れ下る高根谷川の川筋でもある。峠から直線距離で500m余りという近さだ。現在の林道は野間谷川水域へと大きく迂回しているが、旧道は高根谷川沿いに峠に至っていた可能性がある。
但し、峠道は必ずしも川筋に通じる訳ではなく、尾根伝いに峠の峰に取り付く場合も多い。とにかく、この分岐付近に旧峠道が通っていたことは確かだろう。
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<悲願寺へ向かった時のこと(余談)>
初めてこの分岐に辿り着いた時、どういう訳か悲願寺へとジムニーを走らせた。もう夕方の4時をとっくに過ぎ、どこかに今夜のねぐらを探さなければならない。
このまま本線の林道野間殿川内線を行くより、その道沿いにいい野宿地が見付かるかと思ったのかもしれない。また、地図で見ると短かい距離で国道439号(現在は438号との併用)に出られそうだ。
野宿を断念して旅館やホテルに宿泊予約の電話を入れるにも、早く人里に下りなければならない。まだ、携帯電話などない時代のことである。
悲願寺への道は暗い林の中へと入って行った。寂しい道だ。ツ−リングマップには「急坂のガタガタ道」とコメントされていた。その通りになった。焦る気持ちを抑えつつ、慎重にジムニーを運転する。
やっと悲願寺に辿り着き、一安心。しかし、夕暮れの山中にひっそり佇む悲願寺は、恐いくらいに人気がない。ここで野宿をしたいとは思わない。先を急ぐことにする。ところがそのまま野間方面へと道を進むと、間もなく崖崩れで通行不能になってしまった。これでは麓に下りられない。
どうしたものかとツーリングマップを見返す。すると、南山方面へと下る別の道が記されていた。そう言えばここに至る途中、それらしき分岐を見掛けている。
這う這うの体(ほうほうのてい)でジムニーを転回し、悲願寺の手前まで引き返す。何だか怪しい分岐だが、今はこの道を頼るしかない。
途中、いろいろ分岐があって迷わせる。後で調べると、左右山へと至る道もあったようだ。なるべく本線を外さないようにと気を付ける。そしてどうにか国道439号に出ることができた。
ただ、その鮎喰川沿いに通じる国道周辺では手頃な宿が見付け難い。結局、吉野川沿いにあるビジネスホテルマツカを予約した。遥々旭丸峠を越えてやって来たが、今夜の宿に向かうには、更に経の坂峠(倉羅峠とも)の峠道が待っていた。 |
野間谷川右岸の道の様子 (撮影 2015. 5.27)
暗い林の中
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<悲願寺分岐以降>
悲願寺への分岐を過ぎた後、林道野間殿川内線は大きな迷走を始める。
また元の野間谷川水域に戻り、更に野間谷川最源流部を巻いて右岸に入り(地理院地図)、右岸の高所を下りだす。あまり眺望もなく、暗い林の中を通ることも多い。到底楽しい道とは言えない。それでいて国道に出るまで10数Kmとウンザリする程の道程を残す。
<対向車>
考えてみると、スーパー林道起点の角屋橋以降、いや県道16号から分かれる時くらいから、殆ど対向車とすれ違った記憶がない。工事車両などが停まって居たりはしたが、旭丸峠の道は極めて閑散としていた。
ところが、寂しい林の中を走っていると、ひょっこり一台の軽自動車が現れた。四駆などではない普通の乗用車で、この先スーパー林道を走ろうなどという感じでは全くない。道は狭いので軽自動車同士だが、離合は慎重にする。
こちらが路肩に寄せて止まり、対向車が行き過ぎるのを待つ。悲願寺にでもお参りに行くのだろうか。
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<開けた谷>
暗い道を暫く我慢していると、パっと視界が広がる箇所に出た。右岸の支流の谷を巻いた直後だ(地理院地図)。野間谷川の谷が大きく広がり、稜線方向にも見通せる。林の中を迷走して来たので、晴れ晴れした気分になる。道の状態もいいようだ。このまま増々道がよくなり、楽に国道まで出られるかと期待させる。
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谷を稜線方向に望む (撮影 2015. 5.27)
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道の様子 (撮影 2015. 5.27)
晴れ晴れした気分
<野間谷川中流>
しかし、また林が出て来て視界が利かなくなった。まだまだ我慢が必要のようだ。
<枝道分岐>
途中、枝道が分岐する(地理院地図)。直ぐにゲートで通行止だが、立派な舗装路だ。これまでの寂しい道の分岐とはちょっと味わいが違う。どことなく人里の雰囲気がする。
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右に枝道が分岐 (撮影 2015. 5.27)
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二又の分岐 (撮影 2015. 5.27)
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<二又の分岐>
また直ぐに二又の分岐が出て来る(地理院地図)。左の道は荒れた未舗装路だ。地図ではその道も東野間方面に出られることになっている。本線は右を行く。
<上角谷川水域へ>
どうもその分岐が奇異に感じた。分岐直前に道がちょっとした尾根上を抜けるのだ。後で調べてみると、その分岐から先、道は野間谷川水域から更に東の上角(うえつの)谷川水域へと入り込んでいたのだ。
ちょっとした尾根は、その分水界であった。林道野間殿川内線は鮎喰川支流の3つの水域を右往左往する道となる。
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<林道起点>
ところで、ツ−リングマップ(ル)には神山町側側の道を「野間殿川内林道」と記していて、文献(角川日本地名大辞典)にも「林道野間殿川内線」という名で登場する。しかし、肝心な現場ではその林道名が書かれた看板などを見掛けない。
上勝町側が「剣山スーパー林道」と呼ばれるようになったので、もう使われないのかもしれない。
神山町側はやたらと分岐が多い道なので、本線を見誤らないようにと慎重に運転する。すると、また右へ鋭角に分岐する道があった(地理院地図)。直進が本線だろうとは思うが、念の為、車の速度を緩めて確認する。すると、その分岐の角に林道標柱が立っていた。「林道 野間殿川内線 起点」とある。普通に走り抜けていたら、見落としていたかもしれない。
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右に分岐あり (撮影 2015. 5.27) その角に林道標柱が立つ
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「林道野間殿川内線 起点」の標柱 (撮影 2015. 5.27)
新し過ぎる
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<林道野間殿川内線>
この林道は殿川内線に野間線が峠で接続して全線が開通したのが昭和49年(1974年)である。随分昔のことだ。それにしては林道標柱が真新しい。白地に黒い文字がくっきりと描かれている。最近建てられたばかりとしか思われないだ。
背後に立つ「剣山スーパー林道」の看板の方が古い。剣山スーパー林道は昭和60年(1985年)7月の開通である。
この神山町側が起点なら、上勝町側が終点になる筈だ。しかし、上勝町側の殆どが剣山スーパー林道に組入れられている為か、終点の林道標柱はもうどこにもなかったように思う。
仮にその終点を殿川内墓地床とすれば、殿川内墓地床から峠(ごと岩)まで約6.9Km(「完工之碑」より)、峠から林道起点まで約13.3Km(一般の地図より)、よって林道野間殿川内線の総延長は約20.2Kmと計算される。
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人里に出て来た (撮影 2015. 5.27)
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<人里>
林道起点があれば、もう人里は近い。林道標柱が立つ分岐から300m程も行くと(地理院地図)、道は暗い林を抜け、沿道の様子も変わった。人家はまだだが、人の手により整備された敷地が広がる。草が刈られ、木々が剪定され、畑が耕されている。墓地なども見える。貯水槽などの人工物や倉庫のような建物も並びだした。
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<神領東野間>
旭丸峠の道が最初に辿り着いた集落は神山町神領(じんりょう)の東野間(ひがしのま)になる。野間谷川の右岸側に位置する。林道起点以後、上角谷川水域からまた野間谷川水域に戻って来ていたのだ。
旭丸峠の道は野間谷川水域に始まり、その後目まぐるしく水域を変えるが、最終的に元の野間谷川水域に帰って来る。
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沿道に建物が見える (撮影 2015. 5.27)
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東野間集落内の様子 (撮影 2015. 5.27)
人家はまばら
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<東野間集落内>
いつもなら、一たび集落の人家が現れたなら、進むにしたがってその数は増し、道も良くなって遂には幹線路に行き着く。しかし、今回はどうも様子がおかしい。人家は数軒しか見られないし、いつまで経っても鮎喰川沿いへと下って行く様子がない。道も相変わらず狭いままだ。
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<ショートカットの分岐>
遂にはまた暗い林の中へと入って行った。もう人家などない。一体どういうことかと怪訝に思う。すると、右鋭角に分岐があった(地理院地図)。コンクリート舗装の如何にも寂れた道だ。本筋の道とは思われない。そのまま直進した。
後で調べてみると、その道は東野間から本野間を通り、最短で国道438号に出られるようだった。本野間には神山町の役場がある。そこまでスーパー林道の町境から17Kmとあったが、その分岐を行くのだろう。。
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右に分岐あり (撮影 2015. 5.27)
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<西野間へ>
やがて道は野間谷川さえ渡ってしまった(地理院地図)。橋の名は野間橋(のまばし)で、渡った先の左岸は西野間(にしのま)の地となる。
上勝町側では勝浦川沿いをその最源流まで遡り、川との関わり合いがとても深い道であった。一方、神山町側ではほとんど川わらしい川を見ずにここまで下って来た。
野間橋では野間谷川を間近に見ることができるが、何とも暗く寂しい場所で、橋もかなり古そうだった。
橋を渡った所に「悲願寺 13Km、剣山スーパー林道 15Km」と看板があった。やはりこの道が旭丸峠への本線であることは間違いないようだ。それにしても峠道の終点間際にしてこんな寂しい道を通るとは、想像外だった。
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野間橋を渡る (撮影 2015. 5.27)
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スーパー林道などの看板 (撮影 2015. 5.27)
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野間橋先の十字路 (撮影 2015. 5.27)
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<十字路>
野間橋を渡ると直ぐに十字路がある。本線は右に野間谷川左岸沿いに下る。
逆に左に曲がって左岸を遡る道は荒れたコンクリート舗装だ。地図上ではかなり上流部まで到達し、林道野間殿川内にまで接続している。しかし、果たして車で走れるのだろうか。
十字路を直進方向は西野間の山間部の集落に至るようだ。その住民にとってこの道は、重要な生活路となるものと思う。
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<西野間集落>
左岸沿いを下ると間もなく林が途切れ、再び人家が沿道に並びだした。西野間の集落に入ったようだ(地理院地図)。
やがて道は野間谷川と高根谷川に挟まれた鮎喰川右岸の緩傾斜地を下る。沿道には田畑が広がり、眺めがいい。前方には鮎喰川左岸に連なる山々が望める。
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西野間の集落内へ (撮影 2015. 5.27)
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西野間の緩傾斜地を下る (撮影 2015. 5.27)
国道の旧道に出た (撮影 2015. 5.27)
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<国道438号へ>
道は素朴な集落内を通過する。なかなかの山岳道路となる旭丸峠越えのフィナーレとしては、何となく拍子抜けする。
間もなく「とまれ」の看板がある十字路に出る。今までずっとこちらが本線だったが、遂に格上の道に突き当たった。相手は本野間、西野間、寄井(字北)の街中に通じる国道438号(国道439号併用)の旧道だと思う。国道までは十字路をどちらに進んでも直ぐだ。
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<焼野峠など(余談>
その国道をちょっと西に向かうと、県道43号の分岐がある。前回掲載した焼野峠を越える道だ。
最初に書いたように、この神山町には他にも梨ノ峠、経の坂峠(倉羅峠)、川井峠(川井隧道)、雲早隧道と峠が目白押しである。
峠を越えなければ殆ど外に出られないといっても過言ではない。前回、旭丸峠を越えて来た時は、宿へと急いで経の坂峠を越えた。今回は時間に余裕があるので、川井峠を越えて行こうと思う。
川井峠を掲載したのは古く、2001年2月であった。内容を一新したいと思うのだが、なかなか体力が続かない。
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焼野峠への分岐 (撮影 2015. 5.27)
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分岐の看板 (撮影 2015. 5.27)
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これで神山町に通じる主要な峠の掲載はやっと終了したようだ。一つの町だけでもこれだけ手間暇掛かるのに、四国にある峠となると、気が遠くなる思いである。ましてや日本の主な峠を終わらせるまで、到底寿命がもちそうにない。
掲載する峠を絞ろうとは思うが、どの峠もそれぞれに面白い面がある。次はどこを取り上げようかと悩む、旭丸峠であった。
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<走行日>
・1997. 9.27 上勝町→旭丸峠→神山町の南山へ/ジムニーにて
・2015. 5.27 上勝町→旭丸峠→神山町の西野間へ/パジェロ・ミニにて
<参考資料>
・中国四国 2輪車 ツーリングマップ 1989年7月発行 昭文社
・ツーリングマップル 6 中国四国 1997年9月発行 昭文社
・マックスマップル 中国・四国道路地図 2011年2版13刷発行 昭文社
・角川日本地名大辞典 36 徳島県 昭和61年12月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・神山町のパンフレット:神山町ガイドマップ(道の駅 温泉の里・神山でもらった物)
・上勝町のパンフレット:上勝町観光マップ(月ヶ谷温泉・月の宿でもらった物)
・とくしま電子図書館/「阿波学会研究紀要」の中の文献「神山町の峠道」
・その他一般の道路地図、webサイト、観光パンフレットなど
(本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒
資料)
<1997〜2024 Copyright 蓑上誠一>
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