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峠道の風景
(掲載 2022.11.23)
   
   
   

<木枯し紋次郎(余談)>
 古い話だが、もう50年も前に放映されたテレビ時代劇「木枯し紋次郎」のオープニングの一場面がいまだ記憶に残る。雄大な山並みの景色が映し出され、カメラがパーンすると、どこかの峠道の九十九折りが見えて来る。 監督は映像美で定評のある市川崑だ。バックには「だれかが風の中で」が流れ、上条恒彦が低音で「幾つ峠を越えた〜」と歌っている。更にカメラがズームアップすると、その九十九折りを中村敦夫演じる旅姿の紋次郎が足速に下っている。 当時まだ中学生で一人旅など全く縁がなかったが、何となくこの映像が気に入っていた。
 
 今考えてみると、テレビに映し出された九十九折りは、やはり車道の峠道であろう。人や牛馬が通るだけではあまりに屈曲が大き過ぎる。これでは勾配は緩いが、道程が長くなってしまう。撮影場所の都合上など、仕方ないことだろう。 それでも、無宿渡世人・紋次郎が当てのない旅を続けながら、時に険しい峠を越える。どこか憧れがあり、「峠と旅」や「サラリーマン野宿旅]の原点のようにも思える。
 
<峠道の風景>
 峠道には屈曲が付き物だ。九十九折りは峠道の代名詞である。峠越えをする折、時にその険しい道の様子が視界に広がる瞬間がある。そうした峠道の写真をここに「峠道の風景」と題し、思い付くまま10峠程選んでみた。

   
   
   

安倍峠  (峠と旅 No.001)

   

林道豊岡梅ヶ島線の山梨県側入口 (撮影 1991.12.14)
まだ未舗装だった頃
この先に険しい峠道が待っている
この時は、途中で崖崩れの復旧工事中で、あえなく引き返し

 峠道の洗礼を受けたのがこの安倍峠だった。東京の自宅から1日で行ける距離にあり、軽のオフロードカー・ジムニーを買った1991年からこの峠道を走ろうとノコノコ出掛けて行った。 ところがなかなか峠が越えられない。当時まだ未舗装だった林道豊岡梅ヶ島線の山梨県側が、とんでもなく険しいのだ。途中で崖崩れがあったり、路面凍結で通行不能だったりと、散々だった。 他にもいろいろな林道を走りに行ったが、峠道というのは容易でないと思い知らされた。
 
 翌1992年夏になって初めて越えることができ、その後の数回は順調に通ることができた。ホームページ「峠と旅」は1997年6月の開設で、当初は10の峠を掲載してで始めたが、安倍峠はその中の一つだ。 掲載した峠の通し番号「峠と旅 No.001」は安倍峠に付けることとなった。
 
 その後、1998年5月に訪れてみると、あの険しかった豊岡梅ヶ島林道もほとんどが舗装化されていた。しかし、それが最後となった。2000年頃から林道は通行止になり、それは今も続いている模様だ。

   
峠道の風景/安倍峠の山梨県側 (撮影 1998. 5.23)
この時はかなり舗装化が進んでいた
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峠道の風景/安倍峠の山梨県側 (撮影 1998. 5.23)
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山伏峠(大笹峠)  (峠と旅 No.003)

   

山伏峠の山梨県側 (撮影 1994. 4.24)
静岡県側から峠まで登り着いたが、
山梨県側はご覧の通りの積雪で通行不能

 これぞ「ザ・山岳道路」と言える峠道だ。とにかく険しい林道が延々と続く。山梨・静岡県境にあるのは安倍峠と同じで、峠の位置関係も近い。 しかし、安倍峠の静岡県側直下は梅ヶ島温泉で、そこから静岡市街に出るのもさして難しくはない。一方、山伏峠の行き着く先は大井川最上流部の井川だ。 山伏峠は両県側共に道が長く険しい。1994年4月に静岡県側から登ると、どうにか峠には行き着いた。ところが、山梨県側はまだ積雪が残り、通行不能だった(左の写真)。 仕方なく井川へと引き返すこととなった。この峠も1991年から目指し、初めて峠越えができたのは1994年11月になってしまった。2004年8月に訪れた時は、全線が舗装済みとなっていた。
 
 当時は林道の復旧工事や改修工事は日本各地でまだまだ積極的に行われていた。私は丁度いい時期に当たったようだ。安倍峠同様、この山伏峠ももう越えられない峠道となっている模様だ。

   
峠道の風景/山伏峠の静岡県側 (撮影 1994. 4.24)
この道を登り、峠で引き返してまた同じ道を下った
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温見峠  (峠と旅 No.006)

   

温見峠の福井県側 (撮影 2015.10.12)
前方に峠の鞍部を望む

 温見峠の難所は岐阜県側の根尾西谷川沿いだ。険しい崖沿いで、転落死の危険もある。一方、福井県側は比較的穏やかで楽しい道になる。直線的なV字谷に沿って道が通じる。峠の遥か手前から峠の鞍部も望める(左の写真)。 確かに道は狭く、曲がりくねってはいるが、空は終始開けて明るい雰囲気だ。峠の直前で振り返ると、これでもかと屈曲を繰り返す道が望める(下の写真)。
 
 温見峠は国道が通じる峠だが、最近、この峠の少し西の冠山峠にトンネルが開通した。福井と岐阜を繋ぐ幹線路の役目は、そちらに奪われるのではないかと思う。

   
峠道の風景/温見峠の福井県側 (撮影 2015.10.12)
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神坂峠  (峠と旅 No.010)

   

岐阜県側峠直下の景色 (撮影 1992.10.22)
V字の谷が麓まで大きく開ける
神坂峠の高度感を感じる

 神坂(みさか)峠は古い由緒ある峠だ。かつての東山道(とうさんどう)が通じていた。しかも、中央自動車道の長大な恵那山トンネルの上空を越えるという、高度感溢れる峠道だ。その峠を現代は自家用車で訪れることができるというのが凄い。 ただ、最近は長野県側が通行止となっているようだが。
 
 多くの峠道の場合、谷に沿って道が通じる。その谷が大きく屈曲していれば見通しが利かず、景色も広がらない。その点、真っ直ぐなV字谷の源頭に峠が位置する場合、そこに至る沿道からの眺めがいい。神坂峠の岐阜県側がその例だ。 峠近くまで広いV字谷が続き、神坂峠の高度感や雄大さを満喫することができる。一方、谷底を這いずるように道が屈曲して登る。道路地図を眺めると、ウンザリするくらい九十九折りが連続している。 恵那山などへの登山客は朝早くからこの道を走ってやって来る。

   
峠道の風景/神坂峠の岐阜県側 (撮影 2013. 5.22)
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二口峠  (峠と旅 No.016)

   

二口峠 (撮影 1994. 8.13)

 二口峠はどうやら偶然越えることができた峠のようだ。1994年8月、何の先入観もなく山形県側から登ると、未舗装林道ながらも左程の障害もなく宮城県側へと越えることができた。ところがその後全く通れない。 もう東北方面を旅することもないので、たった一度の二口峠となった。
 
 二口峠の山形県側には芭蕉の句「閑さや岩にしみ入蝉の声」で知られた立石寺(りっしゃくじ)・通称山寺がある。テレビドラマに登場したり旅番組で紹介されることも多い。また、宮城県側には東北地方では知られた秋保(あきう)温泉がある。 こちらも旅番組にしばしば登場する温泉地だ。二口峠はこの山寺と秋保温泉という2つの観光地を繋いだ峠道になる。ただ、峠の方は有名ではない。この峠を越えて2つの観光地を梯子しようとしてもなかなか無理そうだ。

   
峠道の風景/二口峠の山形県側 (撮影 1994. 8.13)
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鞍掛峠  (峠と旅 No.018)

   

鞍掛峠の岐阜県の眺め (撮影 1992.10. 8)

 最近、木曽・御嶽山(おんたけさん)の北西麓に位置する柳蘭峠など幾つかの峠を掲載したが、御嶽山の南麓・長野県王滝村にも面白い峠がある。 特に岐阜県との県境の鞍掛峠、白巣峠、真弓峠の3峠が代表格だ。中でも王滝村最奥に位置する鞍掛峠が絶品である。 王滝川源流の神秘的な湖・三浦貯水池の脇を抜け、岐阜県旧下呂町(現下呂市)との境の峠に立つと、その先に魅惑的な峠道の景色が広がる。こちらも見事なV字谷で、そこに未舗装林道がくねっている。
 
 ただ、当時から峠にしっかりしたゲートが設けられ、王滝村側から一往復、下呂町側から一往復登っただけだ。それでもまだましな方らしい。最近は鞍掛峠、白巣峠、真弓峠のどの峠も、車ではほとんど近付けない峠になっているようだ。 今はただただ写真を眺めて懐かしく思うばかりである。

   
峠道の風景/鞍掛峠の岐阜県側 (撮影 1992.10. 8)
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高倉峠  (峠と旅 No.048)

   

高倉峠の岐阜県側 (撮影 1995. 5. 3)
前方に見えるのはウソ峠

 木曽三川(さんせん)と呼ばれる木曽川・長良川・揖斐川(いびがわ)、その一つの揖斐川最源流にあるのが高倉(こうくら)峠だ。岐阜県と福井県の県境に位置する。その高倉峠の岐阜県側がこれまた楽しい。 谷は複雑で、途中で分水界を跨ぐ為、そこにいわゆるウソ峠が生じる(左の写真)。遠くから望むと如何にも峠のように見えるが、そこに辿り着くと更に先へと道が続く。本当の峠へはまだまだ道を登らなければならない。
 
 高倉峠を越えたのは2回で、2回目は5月初旬だった。山肌の所々にはまだ残雪が見えた。その中を未舗装の荒涼とした林道が登って行く(下の写真)。誰一人やって来る者は居ない。この深い山の中に自分ただ一人だ。 背筋にちょっとした恐怖と寂寞感が襲って来る。一人旅を十分満喫する峠道だった。

   
峠道の風景/高倉峠の岐阜県側 (撮影 1995. 5. 3)
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松姫峠  (峠と旅 No.072)

   

大月市側峠直前の急カーブの手前 (撮影 2009.11. 8)

 10年程前に山梨県へ転居し、この松姫峠はとても近い存在になった。地方局のテレビ番組で「松姫トンネル開通」などとニュースも流れる。いつでも行ける積りになっていたら、旧道の峠道は通行止になってしまった。 最近になって小菅村から登ると、峠の大月市側でゲートが閉ざされ、その先の路面には落葉が堆積していた。この様子ではもう二度と大月側は開通することはないのではないかと思わされた。
 
 松姫峠ではその大月側が楽しいのだ。急傾斜地を豪快に屈曲する道で下って行く。特に下り始めて最初のヘアピンカーブ付近が眺めが良い。かなり下った後でも、その付近が望める(下の写真)。
 
 松姫峠に車道が通じたのは昭和44年(1969年)前後になる。その後、約半世紀に渡って車の往来があった。時に行楽の人で峠は賑わった。その歴史も閉じられようとしている。ただ、登山者用などとして小菅村側の道は維持されて行くようだ。

   
峠道の風景/松姫峠の山梨県大月市側 (撮影 2003.11. 8)
稜線近くに旧道が見え、手前に新道が見える
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万座峠  (峠と旅 No.257)

   

林道山田入線は通行止 (撮影 2004. 8.11)

 万座峠は標高約1,830mと、とても高い峠だ。群馬県側の峠直下には万座温泉があり、峠までは県道も通じているので、群馬県側から峠に至るのは容易だ。しかし、長野県側が険しい。凄い急傾斜の崖に林道山田入線がクネクネと通じる。
 
 ところが、残念ながらその林道を一度も走ったことがないのだ。旅程や時間の都合上で、これまで足を踏み入れずに終わっている。今は完全に通行止となってしまった。峠近くより下を覗くと、蛇行する道筋が見える。ただただ垂涎の思いで眺めるだけだ。

   
峠道の風景/万座峠の長野県側 (撮影 2004. 8.11)
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タラガ谷越  (峠と旅 No.270)

   

タラガ谷越 (撮影 1997. 4.27)
ジムニーに並んで白い乗用車が停まる
その向こう、峠に向かって子供とその両親らしい3人連れが
手を繋いで歩いて行く

 現在のタラガ谷越にはタラガトンネルが開通し、ほとんど上り下りのない峠道になっている。かつてはその数100m上空を細々とした車道が越えていた。 トンネル完成は2004年9月だが、それより少し前の1997年4月に峠を訪れた時、道の一部はまだ出来立てのように新しかったのに・・・。
 
 トンネル開通前の険しい峠道は訪れる者も少なかったかというと、そうではなかった。春の暖かな日差しに誘われたのか、峠には一組の家族連れが散歩をしていた(左の写真)。 郡上市側の真新しい九十九折りを今しも峠を目指して乗用車が登って来る。途中の改修前の旧道と思われる箇所には、景色でも眺めているのか、一台の車が停まっていた(下の写真)。ちょっとした観光気分で峠越えを楽しんでいたようだ。
 
 その峠道が間もなく旧道となり、今は完全に通行止となっている。トンネルは便利だが、暗いトンネルは何も面白くない。便利になってかえってタラガ谷越を訪れる者は少なくなったのではないかと思われる。

   
峠道の風景/タラガ谷越の岐阜県郡上市側 (撮影 1997. 4.27)
改修後のまだまだ新しい九十九折りだが、その後間もなくトンネルが開通し、
やがて通ることができない峠道となっていった
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<あとがき(余談)>
 意図した訳ではないが、今ではもう車では越えられない峠ばかりをリストアップしてしまった。バイクや車で旅を始めた初期の頃に訪れた峠が多い。何にしても、初体験は印象に残るのもだ。
 
 当然ながら当時、写真を撮るのはフィルムカメラだ。最近、高精細のフィルムスキャナーを購入したので、今回それが役立った。それを役立てたいが為に、こうして「峠道の風景」などと題して気に入った風景写真を掲載したようなものである。 サービス版のプリントでは映し切れなかった細部まで、そのフィルムスキャナーはデジタルで再現してくれた。タラガ谷越の九十九折り途中に2台の車が居たことも、そのお陰ではっきり確認できた。
 
 ただ、旅の途中に撮る写真は単なる記録の積りである。構図などお構いなしに、撮りたい被写体の方にカメラを向けると、数秒以内にはシャッターを切っていた。その為、ピンボケは多いし、まして人の鑑賞に堪え得るような写真はない。 それでも自分なりに気に入った景色の写真は何枚かあった。それは峠道というロケーションに自分の身を置いたことが、功を奏したのだと思う。

   
   
   
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